2013年6月1日土曜日

【ストーリー解析】「言の葉の庭」

2013/5/31に公開されたアニメ映画「言の葉の庭」のストーリー解析を行う。

*完全なネタバレなので、まだ観てない人は観ましょう。



■スタッフ
監督・脚本・原作 - 新海誠
作画監督・キャラクターデザイン - 土屋堅一
美術監督 - 滝口比呂志
音楽 - KASHIWA Daisuke(柏大輔)
制作・著作 - コミックス・ウェーブ・フィルム
配給 - 東宝映像事業部

監督・脚本・原作は新海誠。絵コンテも切ったとラジオで言っていた。なので、ストーリーは新海さんが決めたと思っていい。
ちなみに上映時間は46分で、普通のアニメ映画の半分ぐらい。ただし、ストーリーボリュームは一時間分ぐらいあると思う。

■声優
タカオ(秋月 孝雄)- 入野自由(いりのみゆ)
ユキノ(雪野 百香里)- 花澤香菜

主人公、ヒロイン共によい演技だった。花澤さんは、普段萌えキャラを演じることが多いので、一瞬ユキノとはミスマッチに聞こえる。しかし、大人な花澤ボイスというのもなかなか魅力的でぞくぞくした。

中の人の私生活とダブらせてしまうと、バーチャル香菜みたいな感じでより楽しめる(妄想です)。女性声優好きとしては、普段聞けない花澤ボイスだけで観る価値あり。

■映像・音響
特筆すべきは、雨表現の豊かさ。特に水面や、濡れたタイルには目を奪われる。一部CG?なのかな。そのすごさは、開始の1カットで分かるレベル。色々な雨の形態にもこだわっている。
また、激しい雨音や雷音もいい演出だった。

■総評
本作品の見所は、次の3点。

①雨表現
②ユキノの表現(眼差し・仕草・声)
③文学的なモチーフ

アニメとしては非常に完成度が高い。日本の多様な雨を描いた作品としては、素晴らしい内容。また、ストーリーもよく練られている。ただし、設定や終わり方には若干違和感がある(後述)。とはいえ、花澤好きは必見だし、声優ファンでなくとも、映像作品、あるいは文学作品として観る価値は十分にあると思う。是非多くの人に見て欲しい。


■ドライバー分析

さて、続いてストーリーの解析に移る。まず、ストーリーを構成するメインドライバーは、次の2つ。

①タカオのユキノへの恋心(L-L-F)
②タカオがユキノの再出発を助ける(E-G)

一見、本作は単純な恋愛もの「タカオとユキノの恋(L-L)」に見える。しかし、実際には②の「タカオがユキノの再出発を助ける(E-G)」が最大のドライバーである。

公式では、本作を「恋」ではなく、愛に至る以前の孤独、「孤悲」の物語と位置づけている。それはつまり、単なる「恋」ではなく、ユキノの落ち込む原因(再出発を拒んでいるもの)=「孤悲」を払うことがストーリーの根幹だということだ。
そして、それを成すための原動力が、①の「タカオのユキノへの恋心(L-L-F)」なのである。

ちなみに、「孤悲」とは万葉集の中で見られる「恋」の当て字であり、「こひ」と書いて、「こい」と読むらしい。「恋」にまつわる気持ちの中で、「あなたがいなくて寂しい」という悲しさを強調した表現といえる。
英語で言えば、恋が「I love you.」に近く、孤悲が「I miss you.」に近いといったところか。

劇中では、ユキノの「気持ちを打ち明けられないゆえの孤独と悲しみ」や、タカオの「気持ちを打ち明けてくれないゆえの孤独と悲しみ」に対応する。


予告編で明らかにされないネタバレとしては、

・ユキノがタカオの高校の教師であること

また、サブドライバーとして、

・タカオが靴職人を目指す(L)
・タカオがユキノを追い詰めた生徒に怒りをぶつける(E-G)

などがあるが、この辺はストーリーというよりは、設定(P)に近い。


■ストーリー詳細

思い出せる範囲でのストーリーは次のようなもの。

P タカオは、靴職人を目指す高校生。雨の日が好きで、雨の日はいつも学校をサボり新宿の日本庭園に行き靴のデザインなどを考えていた。

P ある雨の日、その日本庭園の東屋で、金麦を飲んでいる若い女性(ユキノ)と出会う。

P タカオは、チョコを食べながら金麦を飲んでいる彼女を変な人だと思ったが、どこかで見た事がある気がしたので声をかける。
彼女は「ない」と答えるが、タカオの制服に気がつき「ひょっとしたらあるかも」と答える。

P タカオはまた、別の雨の日、同じ東屋で彼女に出会う。

L 2人はサボり仲間として少し打ち解ける。彼女は、雨の日にまた会うかもと言って一句短歌を詠んで去る。
「鳴神(ナルカミ)の光りとよみてさし曇り、雨さへ降れや。君は留らむ」
タカオには意味が分からない。

L タカオと彼女は雨の日に同じ東屋で会うようになり、弁当を持ち寄ったりして、次第に打ち解けてゆく。タカオは次第に彼女に惹かれていく。

EG ところが、ユキノは実は味覚障害を発症しており、仕事についてもすでに止める手続きを始めていた。ユキノは自分の情けなさを憂い、元彼にも心を開けず、孤独な日々を送っていたが、タカオとの出会いがそんなユキノの心を少しづつほぐしていく。

L タカオは、彼女の悩みの多い背後を想像し、彼女が元気を取り戻せる靴を作りたいと思うようになる。

L ユキノは、タカオに弁当のお礼として、靴の専門書をプレゼントする。

L タカオは女物の靴を作ろうとしているがうまくいかないからと言って、ユキノの足を採寸する。

E ユキノは、タカオが寝ているときに「私はまだ大丈夫かな」とぽつりと不安を口にする。

F 梅雨があけ、夏になるとめっきり雨が降らなくなり、二人が会う回数は激減する。タカオは学費を稼ぐ為にバイトをし、ユキノは悶々としていた。

E 2学期がはじまり、ある日高校で、タカオは職員室から出てくるユキノにばったり出会う。実は、ユキノはタカオの高校の古典の教師だったのだ。そして、今度辞めるのだという。原因は、彼氏をとられたと勘違いした女生徒の逆恨みで、良くない噂を流され追い込まれたからだという。

G 別の日、事実を知ったタカオは、噂を流した女生徒に詰め寄り平手打ちをかます。しかし、その取り巻きにボコボコにされる。

L 雨は降らず、約束もなにもないが、タカオは日本庭園を訪れる。そこに、ユキノがいる。

L 気まずそうにするユキノに、タカオは短歌の返しの歌を詠む。
「鳴神の光りとよみて降らずとも、我は止らむ。妹し止めてば」
(雨が降らなくとも、あなたが言えば留まるのに)

E 突如、雷雨が降りはじめ、2人は東屋に駆け込むが、ずぶ濡れになってしまう。

G 体が冷えてしまった2人はユキノの自宅に行き、着替えてお茶を飲むことに。

L 2人は、しんみりと人生で一番の幸せを感じる。

F そこでタカオは、淡い恋心をユキノに打ち明ける。しかし、ユキノは年齢差や(直接的ではないが)教師と生徒という間柄から、気持ちに正直になれず、タカオの気持ちに応えられない。

F タカオは、悔しくて濡れた服に着替えなおしてユキノの家を飛び出す。

L ユキノは、タカオが出て行った後、かけがえのないものを今失おうとしていることに気がついて、後を追いかける。

L 非常階段でタカオを見つけたユキノに、タカオは悔しさを激しくぶつける。

L(G)ユキノは、それに突き動かされて大泣きしながらタカオを抱きしめる。

P 少し月日がたち、ユキノは実家のある四国で、教師として再就職する。

L タカオは、ユキノからの手紙を読みながら、いつか自分がもっと成長したら会いに行こうと心に決める。

(おわり)

マクロで見るとメインドライバーは、タカオとユキノの恋物語(L-L-F-L)に見えると思う。
しかし、そう考えるとどうしてもその後の展開が引っかかる。単純な恋愛ものなら、タカオとユキノは付き合ってハッピーエンドでもおかしくない。しかし、実際には、ユキノは四国で別の生活を始め、タカオは靴も渡せず、いつか会いに行くなんて悠長なことを言っている。まるで、別々に暮らすことを決めた「もののけ姫」のサンとアシタカのようだ。

これを読み解くには、タカオが従うドライバーが正確には2つあることを知る必要がある。それは次の2つである。

①ユキノに対する恋心(L)
②ユキノを救いたいという気持ち(G)

これらは似ているが、ストーリー上は異なる役割を果たしている。
これらの違いは、クライマックスのユキノがタカオを抱きしめるシーンで明らかになる。このシーンはユキノの本当の気持ちを語るシーンなのだが、ユキノはタカオのことを「好き」ではなく「救われていた」と言っている。これは、ユキノにとって、タカオは恋人ではなく、自分を苦しい孤独から救い出してくれた恩人であるということを物語っている。

つまり、このシーンでは恋心に対する返答(①に対する返答)が成されているわけではなく、救い出したいと言う気持ちへの返答(②に対する返答)が成されているのだ。そこに、恋の物語から孤悲の物語への昇華がある。

このシーンで、前者はタカオの広い意味での失恋(L-F)として完結し、後者はユキノを孤悲から救い出すというストーリー(E-G)として完結されている。

そう考えると、その後の2人の距離感やエピローグの展開にも合点がいく。


■伏線の解説

①和歌ついて
ユキノが詠んだ句は、万葉集の2513番で

「鳴神(ナルカミ)の光りとよみてさし曇り、雨さへ降れや。君は留らむ」

大雑把な意味は、「雷が鳴って雨が降れば、あなたを留めておけるのに」である。
こんな句を詠まれたら男なら一発でころっといってしまいそうだが、劇中では意味が分からない前提で詠まれた。後半で、返しの歌や、古典の教師であるということにつながっていく。また、少し自分の正体を明かしたいという気持ちもあったようだ。

それに対して、タカオが詠んだ返しの句は、万葉集の2514番、

「鳴神の光りとよみて降らずとも、我は止らむ。妹し止めてば」

大雑把な意味は、「雷が鳴って雨が降らなくとも、あなたが言えば留まるのに」。劇中では、「雨が降るという口実がなくても、あなたに会えるのならここに来ます」という感じだろうか。
良い演出である。
また、ユキノがタカオの後を追う最後のシーンでもこの短歌が挿入されており、そこでは短歌本来の、「妹し止めてば=あなたから行かないでと言って欲しい」というタカオの気持ちが表現されている。


②味覚障害
チョコをかじりながらビールを飲む偏食家と思いきや、実は伏線で、味覚障害という展開。弁当に自信がなかったのも、うまく味見できないという側面があったのだろう。(ただし、実際料理も下手みたいだが。)さらに、味覚障害の原因が、学校で追い込まれていることだという物語の核心へとつながっていくあたり上手な伏線の張り方である。


■いくつかの問題点

①ユキノの職業がなぜタカオの高校の教師なのか?
この設定にはかなり違和感がある。この設定により、ユキノがタカオを拒否する理由に、年齢の差だけでなく、教師と生徒という非常に倫理的な問題が加わってしまう。
倫理的問題があるとさすがに応援し難い。
また、「あったことがあるかも」で同じ学校てのはさすがに世間が狭すぎる。

②うまく行かない原因が学校での妨害工作で良かったのか?
なぜ、このような不快な設定にしたのだろうか?悪役がはっきり決まってしまう設定が良かったのか甚だ疑問である。おそらく視聴者は、原因の女生徒や、ユキノの元恋人でおそらく同僚の先生に怒りがこみ上げることだろう。
しかも、平手打ちこそしたものの、ユキノは結局辞めてしまったのだから、局所的に見るとこれは悪が倒されない、問題が解決しないバッドエンドとも取れる。
雨の日に出会うという情緒的でファンタジックな内容に、なぜ下衆を登場させる必要があったのだろうか。学校関連シーンはそのせいで後味の悪いものになっている。

③靴フラグはなぜ回収されなかったのか?
せっかく作った靴がどうして彼女の足に収まらなかったのだろうか。
もしドライバーが、「タカオがユキノの再出発を助ける」ならば、彼女が靴を履いて教壇に立っている姿が真のハッピーエンドのはずである。しかし、本作ではそうはならない。どうも監督は、靴=タカオの恋心と思っているようである。だから、靴が渡せない=失恋という結末になっているのだろう。
しかし、ドライバーの整合性から言えば、靴は恋心の象徴ではなく、恋心から派生した現実的な終着点=彼女を救うことの象徴である。恋心は叶わなかったが、救いたいという願いはかなった。ならば靴は履かせるべきである。靴を送り、その返信の手紙を読む。それがあるべきエンドである。


■改善案
できれば高校教師ではない設定にしたいが、代替案は難しそうなのでパス。唯一変更するならば、エピローグには、ユキノが靴を履いた姿を入れるということぐらいか。


2013年4月29日月曜日

思考の分解について


言語を用いた思考の分解について説明する。
思考の分解とは、ある命題をその構成要素に分解し分析する手法である。

私たちは脳の情報処理に従い、ある命題を盲目的に信じている。思考の分解は、そういった盲目的に信じている命題を問い直し、その背後にあるゲシュタルトを明らかにする。

■アプリオリな命題

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ルール1:アプリオリな命題から始める。
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思考の分解のスタート地点は、アプリオリな命題である。アプリオリな命題とは、無条件で真だと確信している命題を指す。平たく言えば、ある気持ちや、信念や、思い込みのことである。

人間の脳の情報処理は論理的ではない。その多くの部分は過去の記憶や情動に基づいており、それゆえに人は論理に頼らずとも決定が下せる。それが人間の強みでもあり、弱みでもある。

私たちは、「アプリオリな命題」を説明不要な大切なものだと考えている。しかし、それは必ずしも正しい意味を持っているとは限らない。

思考の分解の目的は、私たちがアプリオリな命題として表現している「何か」の正確な意味を知ることである。

逆に、アプリオリでない命題は思考の分解の対象としては、あまり適切ではない。

■否定形の禁止

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ルール2:否定形を用いてはならない。
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思考の分解は、一見論理学に近い。しかし、実際には大きな差異がある。それは、否定形の禁止である。これは、「○○でない」「非○○」「○○以外」といった否定表現を禁止するものである。
否定形の禁止は、概念による宇宙の分解をゆるやかに禁止する。否定形を用いることができる場合、「偶数」という言葉は、宇宙を「偶数」と「偶数でないもの」に分割する。この分割は自明であり完全である。ある概念は、少なくとも「偶数」か「偶数でないもの」のどちらかに属することになるだろう。しかし、「偶数でないもの」を我々は本当に認識できるのだろうか。それは「奇数」かもしれないし、「無理数」かもしれないし、そもそも「数字でないもの」かもしれない。そんなブラックボックスを思考の分解は禁止する。
もし、宇宙を「偶数」と「奇数」に分解したら、「偶数でも奇数でもない」何かが宇宙には取り残されることになる。思考の分解はそれを容認する。

思考の分解は、論理的で完全な分解を放棄し、主観的で不完全な分解を採用する。それは、思考の分解が真理を目指すものではなく、自身の分解を目指すものだからである。

■主体性の認識

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ルール3:アプリオリな命題が定義か、経験的事実かを確認する。
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あるアプリオリな命題を信じる者にとって、アプリオリな命題はアイデンティティに関わる命題である。つまり、それを否定することは困難である。
それは言語レベルを超えて定義されており、言語でそれを覆すことはできない。

つまり、思考の分解の目的は、そのアプリオリな命題を否定することではない。思考の分解の目的は、それを真偽もろとも分解することである。

そこで、まずその由来を明らかにする。

例えば、A君は『僕は弱虫だ』というアプリオリな命題を持っていたとしよう。A君のファーストステップは次のように問うことである。

「『僕は弱虫だ』は定義か、それとも経験的事実か?」

定義の場合も、経験的事実の場合もあるだろう。しかし、それはどちらでもかまわない。この問いの目的は、アプリオリな命題を作り出しているのが自分だと認識する為のものだからである。

■命題の分解

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ルール4:命題を単語に分解する。
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A君の次のステップは、アプリオリな命題を単語に分割することである。

『僕は弱虫だ』→『僕』と『弱虫』

『僕は弱虫だ』には真偽があるが、『僕』と『弱虫』には真偽が無い。命題は破壊される。

残るのは、『僕』と『弱虫』の間の「関係」である。脳には、バラバラなものをつなぎとめるゲシュタルト能力がある。この段階では、まだ、『僕』と『弱虫』の間には何らかの関係があると信じているが、それは若干曖昧になっている。

■単語の分解

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ルール5:単語を複数の単語に分解する。
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さて、ここから、命題と命題を構成する単語を本格的に破壊する。単語の分解の種類には、次のような手法がある。

①合成語分解
例:ギリシア人 → ギリシア/人

②抽象度(集合)分解
例:人間 → 男性/女性

③属性分解
例:アリストテレス → 哲学者/ギリシャ人

④和分解
例:男 → 男/女

⑤類語分解
例:かわいい → 愛しい/初々しい/キュートな

⑥定義分解
例:有理数 → 二つの整数a,b(ただしb≠0)をもちいてa/bという分数で表せる数のこと

試しに、『弱虫』を分解してみよう。

弱虫 → 弱い/虫 (合成語分解)
弱虫 → 弱虫/強者 (和分解)
弱虫 → 臆病者/泣き虫/恐がり/ヘタレ(類語分解)

このような分解によって、潜在的に「僕は弱い」や「僕は泣き虫」のような命題が発生する。これは、バラバラの単語の状態になっている状態を脳が嫌ってゲシュタルトを形成しようとするからである。しかし、さらに分解を進める。

■単語の定義

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ルール6:単語を定義する。
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分解によって生じた単語のうち、定義のあやふやなものを定義する。このとき、何を満たせば、そう言えるのかを意識する。一般に単語を定義するのは難しい。
定義し難いものは、さらに分解して定義を試みる。

例えば、『弱虫』は定義可能だろうか?もし、定義不能ならば、『弱虫』を分解した「臆病者」や「泣き虫」についてはどうだろうか?

ここでは、仮に『弱虫』は定義不能だが、「恐がり」や「泣き虫」は定義できたとしよう。

「恐がり」 ⇔ すぐ恐がる人
「泣き虫 」⇔ すぐ泣く人

■命題、単語の破棄

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ルール7:定義不能な単語、真偽不明の命題を破棄する。
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分解された単語や、それらの組み合わせによる命題のうち、定義不能な単語を用いたものや、情報不足によって真偽不明の命題を破棄する。結果的に残るのは、定義された単語による明確な命題だけである。

先の例では

『僕は弱虫だ』 → 『弱虫』が定義不能なため破棄する。
『僕は恐がりだ』 → これは新たなアプリオリな命題である。
『僕は泣き虫だ』 → これも新たなアプリオリな命題である。

となる。

このあたりの段階で、おそらく元の命題はゲシュタルト崩壊し、分解されたもののうち自明なものしか残っていないだろう。

A君が信じていたアプリオリな命題『僕は弱虫だ』は破棄され、『僕は恐がりだ』や、『僕は泣き虫だ』が採用される。これがA君の本当に信じていた命題である。

もちろん、『弱虫』を「恐がりで泣き虫のこと」と定義すれば、『僕は弱虫だ』はアプリオリに真である。しかし、この命題はゲシュタルトという意味では分解前とは若干異なっている。

なぜなら、再構成の手順の中で、『弱虫』の中の「恐がりでも泣き虫でもないなにか」が宇宙に取り残されてしまうからである。

人間は、曖昧なものを信じることができる。しかし、それは必ずしも言語で表現できるものではない。思考の分解は、言語の力を借りて自身の信じているものを明確にする。それは、曖昧な何かを捨てることであり、明らかなゲシュタルトを構成し直すことである。

2013年4月21日日曜日

【ストーリー解析】「劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ」


2013/4/20に公開された「劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ」のストーリー解析を行う。

*完全なネタバレなので、まだ観てない人は観ましょう。



■スタッフ
原作 - 志倉千代丸/MAGES./Nitroplus
企画 - 安田猛
スーパーバイザー - でじたろう
総監督 - 佐藤卓哉、浜崎博嗣
監督 - 若林漢二
シナリオ監修 - 松原達也、林直孝
脚本 - 花田十輝
キャラクター原案 - huke
キャラクターデザイン・総作画監督 - 坂井久太
アニメーション制作会社 - WHITE FOX

脚本は花田十輝。アニメ脚本でよく見かける気がする。ただし、今回も劇場版なので誰がどの程度ストーリーを決定したかはよく分からない。


■声優
牧瀬紅莉栖 - 今井麻美
岡部倫太郎 - 宮野真守
椎名まゆり - 花澤香菜
阿万音鈴羽 - 田村ゆかり
橋田至 - 関智一

とにかくミンゴスの演技が素晴らしかった。主役として気合が入っていたと思う。


■演出
TV版(またはゲーム版?)の演出を踏襲しすぎていて、新鮮味に欠ける。随所にクリスのサービスシーンがあるのだが、それよりもr世界線のような、新しい要素、新しい演出が見たかった。服が同じなのもマイナス。
また、極端なアップが多く、劇場版=大スクリーンという特性をまったく解していない。作画も劇場版というほどのクオリティではなく若干の違和感がある。
ただ、クリス役の今井麻美や、まゆり役の花澤香菜の演技が良かったので、泣けるシーンは結構あった。


■総評
劇場版というには、演出面でもストーリー面でも穴が目立った作品だった。おそらく製作にあまり時間や予算がかけられなかったのではないだろうか。上映時間の制約もあるが、もう少しストーリーをまとめられるのではないかという印象。(最後の改善案参照)
ただ、続編が見られるというのはうれしい限り。


■ドライバー

本作のメインドライバーは2つ。

・リーディングシュタイナーの負荷による岡部の世界線移動を阻止すること。(E-G)
・クリスの岡部への想いについての葛藤(L-F-L)

これらは、『負荷領域のデジャブ』というタイトルを回収するものである。これらが本作のストーリーの根幹部分になる。ただし、L-F-Lの構造は結構分かりにくい作りになっている。

他にもサブドライバーとして、

・まゆりとオカリンの間の関係崩壊と修復(L-L-F-(L))
・まゆりのクリスへの愛情(L)
・ラボ解散の危機(E-G)

などがある。ただし、サブドライバーはどれも強度が高いわけではない。


■ストーリー詳細

覚えている範囲で、ストーリー詳細は次のようになっている。

P シュタインズゲート到達後、1年が経過した状態でスタート。

L クリス来日。まゆり、ルカ子らが出迎える。

F 岡部照れて出迎えに来ない。バーベキューの準備をしたり、プレゼントを買ったらしい。

E 岡部に異変(他の世界線の出来事のフラッシュバック)が起こり始める。

L バーベキューで酔っ払ったクリスが岡部に絡んでいちゃいちゃする。岡部はスプーンとフォークをプレゼント。

E 再び岡部に2度のフラッシュバックが起こる。

L まゆりがオカリンを心配する。オカリンはそれに応える。

E(L)クリスのホテルに謎の人物(鈴羽)が現れ、謎の助言を残す。

L 岡部のプレゼントに応えて、クリスは白衣をプレゼント。

E 岡部消失。クリスも岡部を忘却しかける。

G クリス、フォークの存在に気がつき、助言を思い出す。

G タイムリープマシンを完成させ、消失の1日前にタイムリープ。

P(L)タイムリープを確認した鈴羽と合流。さらに岡部とも合流し現状整理。r世界線についての説明も。

L クリスは岡部を失いたくないが、岡部は過去改変を行うことを頑なに拒否する。

F 岡部クリスに別れを告げる。

F クリス再び岡部の消失を目の当たりにし、激しく取り乱す。

L まゆりが苦しんでいるクリスを見てタイムリープマシンを作ろうとすることを引き止める。

F クリス岡部の思いを尊重し、過去改変をしないことを決断。

E ラボが徐々に解散へ向かう。

L 鈴羽がクリスを説得に現れる。

L クリスは最終的に説得に応じ、2005年へ。

F クリスをかばって岡部少年がトラックに跳ねられ計画は失敗。

P 過去改変の恐ろしさを味わったクリスは過去改変を断念。

F まゆりが言い表せぬ寂しさを訴えはじめ、ラボのメンバーも岡部のことを思い始める。

L クリス再び2005年へ。

G 岡部に強烈な思い出を残すために、悩める岡部少年にマッドサイエンティストの話などをして、さらにファーストキスを奪う。

L クリスが時空の狭間?にいる岡部と再会。

(おわり)

まとめるとマクロでは、

  E---E-GE-G  r世界線からの脱出要素
L---L-F-L---L クリスと岡部の恋愛要素
   L-L----F   まゆりとオカリンの信頼関係要素

といった3要素が互いに関係してストーリーを形成している。ストーリーの争点はまとめると次のように要約できるだろう。

①クリスが「岡部といっしょにいたい」という自分の気持ちと、競合する岡部の願い(=クリスとまゆりに危険が及ぶことはしてほしくない)のどちらを優先させるかという問題。
②岡部の願いを受け入れた先にある「まゆりとオカリンの関係の崩壊」が、実は後のストーリーを動かすということ。


■多くの疑問点

今作のストーリーはマクロで見るといい感じに見えるのだが、観ていたときは、妙に全体性が欠けているなという印象だった。後から振り返ってみると、色々な疑問点が出てくる。

①服・・・同じなの?
一年後ということをまったく感じさせない設定。謎。劇場版・・・だよな?

②SERNのハッキング簡単すぎないか?
いきなりブラックホールまで使えちゃうのはおかしい。TV版では、相手が全裸待機したからこそ可能だった。ただ、細かいので目を潰れなくはない。

③タイムリープマシン簡単に作れすぎじゃね?
そこまで詳細に思い出せるものなのか。

④鈴羽何しにきたの?
第三次世界大戦も起こってなかったようだし、そもそも過去に来る動機がほとんどない。

⑤ダルひどくね?
岡部の「ダルは頼りになる発言」は何だったのか。言っただけか。ラボも中途半端だしいいとこなし。

⑥ホテルに忍び込んだのはクリスかと
クリスが自分自身を助けるといったタイムパラドックス的な展開を期待してしまった。

⑦なぜ別れ際にチューしたし
選択と恋愛の葛藤を描きたかったんだろうけど、そこはもっと溜めるべきでしょ。

⑧なんで2005年?
クリスが2005年を選ぶ基準が希薄。

⑨r世界線にはオカリンいるの?いないの?
r世界線の設定が謎。過去に戻ったときにいたから、いるにはいるんだろうけど、途中で消えるってどういうことなの。世界線は過去改変で分岐するんじゃないの?あと、r世界線で未来から来た鈴羽はオカリンのこと良く知らないんじゃないの。

⑩過去改変簡単すぎないか?
さんざん過去を変えることの過酷さを説いておきながら、初キッスで万事OKとはこれいかに。


■ストーリー改善案

この作品のストーリーの問題点は、ドライバーが整理できていないことにある。クリスの葛藤も、岡部との恋愛も、まゆりとオカリンの関係性も強度が足りない。狙いを絞って以下のように改変すると良いと思う。

①岡部消失の前倒し
早く事件が起きて欲しいので、プレゼント終了後すぐにオカリンを消失させる。それに伴い、鈴羽の助言と気付きのタイムラグも無くす。つまり、消失→助言→思い出しかける(周りは否定する)→完全に思い出すの流れ。

②キスは最後までおあずけ
別れ際にキスはしない。未練を残す。この世界線のクリスは、そこまで思いいれも強くないのでその方が寧ろ自然。キスは過去改変でのキス一回に集約。

③ラボは解散
ラボはダルの決断で解散へ。

④鈴羽が来るのはまゆりが死んだから
クリスが過去改変を行わなかったr世界戦は、鳳凰院凶真が誕生せず、まゆりがおばあちゃんとさよならできなかった世界線。まゆりはその世界線上で、手を引かれるように短命で生涯を閉じる。それだけまゆりとオカリンの絆は重要なものであり、クリスは岡部ばかりを見ていて、そのことに気がつかなかったことを後悔する。なぜなら、それは岡部が最も大切にしていたものの1つだから。そこで未来のクリスは、同じくラボを解散したことを後悔していたダルと共にタイムマシンを開発する。そして、二人の無念を張らすべく鈴羽はやってくる。ただし、決断は現代のクリスに任せることが条件。

⑤クリスのミッションは鳳凰院凶真を復活させること
岡部をリーディングシュタイナーの負荷から救い、まゆりを助けるためには鳳凰院凶真を復活させる必要がある。そこでクリスは、まゆりとオカリンの関係を修復し、尚且つ岡部に強力な記憶を植え付けるために、岡部少年に鳳凰院凶真(=岡部)という人間の温かみ、思いやり、すごさを伝え、キスをする。それは、岡部少年を鳳凰院凶真にする儀式であり、クリスの岡部への愛の告白でもある。

以上を踏まえて、ストーリーを整理しなおすと次のようになる。

P シュタインズゲート到達後、1年が経過した状態でスタート。

L クリス来日。まゆり、ルカ子らが出迎える。

F 岡部照れて出迎えに来ない。バーベキューの準備をしたり、プレゼントを買ったらしい。

E 岡部に異変(他の世界線の出来事のフラッシュバック)が起こり始める。

L バーベキューで酔っ払ったクリスが岡部に絡んでいちゃいちゃする。岡部はスプーンとフォークをプレゼント。

E 岡部消失。クリスは岡部の消失をはっきりと観測できず、周りにも否定されたためホテルに帰る。(酔いも醒めてなかったかもしれないしとか思う)

E(L)クリスのホテルに謎の人物(鈴羽)が現れ、謎の助言を残す。クリスは不審に思うだけ。

G クリス、ラボで受け取り損ねたスプーンとフォークに気がつき、消失前の出来事を思い出す。

G 助言を思い出しタイムリープマシンを完成させ、消失の1日前にタイムリープ。

P(L)タイムリープを確認した鈴羽と合流。さらに岡部とも合流し現状整理。r世界線についての説明も。

L クリスは岡部を失いたくないが、岡部は過去改変を行うことを頑なに拒否する。

F クリスは岡部のまゆりへの想いを尊重し過去改変を行なわないことを決める。

F 岡部クリスに別れを告げる。

F クリス再び岡部の消失を目の当たりにし、激しく取り乱す。クリスに岡部との色々な記憶が見える。

L まゆりが苦しんでいるクリスをタイムリープマシンの開発を引き止める。

F クリスは岡部の思いを尊重し、過去改変をしないことを決断。

E ダルの決定によりラボが解散へ向かう。

E まゆりが言い表せぬ寂しさを訴えはじめる。ラボのメンバーも岡部のことを思い始める。

L 鈴羽がクリスを説得に現れる。ただし、理由は明かさない。

L クリスは最終的に説得に応じ、2005年へ。

F クリスをかばって岡部少年がトラックに跳ねられ計画は失敗。

P 過去改変の恐ろしさを味わったクリスは過去改変を断念。

L 鈴羽が過去に来た真相(=まゆりの死とダルとクリスの後悔)を話す。しかし、r世界線上の鈴羽は、何がまゆりを救うのかまでは分かっていない。

F まゆりが少しだけオカリンの記憶を語り始める。それは、墓に現れると思ったけど現れなかったオカリンの話。

L クリス、鳳凰院凶真を復活させる為に再び2005年へ。

G クリスは、鳳凰院凶真(岡部)への想いを岡部少年に伝え、やさしくキスをする。

L クリスが時空の狭間?にいる岡部と再会しハッピーエンド。

(おわり)

これで、ストーリーがだいぶ引き締まったと思う。クリスが抱く岡部への愛情には、純粋な岡部への愛情だけではなく、岡部のまゆりへの想いに対する尊敬(こんなにも人のことを大切に思えるものだろうか?)がある。それゆえ、クリスは岡部を助けたいと思うし、まゆりも大切な仲間だと感じている。これらを強化することにより、岡部とまゆり、岡部とクリスという2つの関係性を共存させた本来のシュタインズゲートらしいストーリーになるだろう。

2013年2月11日月曜日

無意識と行動


私たちがとっている無意識的行動の原理にせまる。
私たちはどのように無意識をコントロールして行けばよいのだろうか。


■無意識を直接見ることはできない

まず、無意識について言えることは、こころを直接見ることができないように、無意識もまた直接見ることはできないということです。

デカルトが我思うゆえに我ありと言ったように、私たちは意識の存在については疑いの余地がありません。しかし、こころや無意識は必ずしもそうとは言えません。なぜなら、その処理プロセスを直接見た人はいないからです。

それにもかかわらず、私たちがこころや無意識があると信じる理由は、意識の上では説明のつかない行動を私たちがとっているということを経験的に知っているからです。私たちは知らない間に呼吸を行い、知らない間に恋に落ちます。それを知るのはいつも事後であり、意識に上ってはじめて自分の知られざる行動や、隠された気持ちに気がつくことになります。

私たちは、いつもこころや無意識による「結果」を見ているのであって、こころや無意識それ自体を見たことはありません。

こころや無意識というものは、決して姿を見せない黒幕のようなものなのです。


■意識が無意識をコントロールするという怪しさ

私たちは、意識というものが無意識よりも上位にあると何となく考えています。無意識といえども、意識に上ればコントロールできると。しかし、本当にそうでしょうか?

先ほど言ったように、意識が見ているものは、無意識による「結果」でしかありません。意識が無意識をコントロールしていると思っていても、意識が見ているものはその介入による「結果」にすぎません。その「結果」を生み出した無意識は相変わらずブラックボックスのままであり、その中身については想像するしかありません。

例えば、川の上流から流れてくるものを、川の下流からコントロールできるでしょうか?意識と無意識の関係はそれに似ています。私たちが意識によって無意識をコントロールしていると考えているとき、実際には、影で働く無意識自体が無意識をコントロールしており、その結果を意識が見ているにすぎないのではないでしょうか。つまり、水が逆流しているのではなく、川全体が変化していると考えるわけです。水が逆流するというのは、自然の摂理に反します。

私は、水が逆流すると考えることによって、意識が無意識をだめにするとすら考えています。

よくスポーツなどで、せっかく調子が良かったのにあることを意識しすぎてパフォーマンスが低下するということがあります。これは、無意識が丁度良く調整していたものを意識が妨げてしまったと考えることが出来ます。身体をコントロールしているのはあくまで無意識であり、そこには積極的に介入しない方がよいことだってあるのです。

これは、映画のようなものでも同じことが言えます。例えば、映画を見ているときに、本当に楽しめるのは、その世界にどっぷりはまっている時です。もし、あと上映時間は何分かなとか、終わっちゃうのが惜しいなあなどとメタな視点に立ってしまうと、立ちどころに現実世界に引き戻されてしまいます。身体のコントロールだけでなく、映画鑑賞のような受動的な情報処理でも意識は邪魔になってしまうのです。

さらに、能動的な情報処理、つまり思考についても同じことが言えます。あるアイデアを、次々と思いついているとき、その状態はかなり無意識的です。なぜなら、なぜそのような考えに至ったかは分からず、その「結果」だけが意識に上っているからです。この状態で、今のはいいアイデアだなとか、煮詰まってきたななどとメタな視点に立ってしまうと、急に無意識の活動がストップします。これは、まさにスポーツで意識しすぎの状態と同じです。

結局、意識の存在というのは、無意識がパフォーマンスを発揮しているときには邪魔にしかならず、意識が無意識よりも上位だとか高度というわけではありません。意識はあくまで無意識の下流に位置する存在にすぎないのです。


■無意識は無意識に弱い

さて、実は無意識に最も影響があるのは、意識による介入ではなく、意識に上らない介入です。
つまり、意識が気がつくことなく、無意識に働きかけられると無意識は大きな影響を受けるのです。これは、意識というものの役割を改めて考えてみると、良く分かります。

意識は、無意識がパフォーマンスを発揮しているときに、それを停止するのが得意です。先ほどは、それを悪いことのように書きましたが、実はそれには重要な役割があります。
それは、無意識への攻撃をブロックすることです。無意識を停止できるということは、他者から無意識への介入があった場合には、無意識を停止してそれを中断することができるということです。実は、意識というものは無意識への介入が得意なのではなく、無意識への介入を阻止するのが得意なのです。
先ほどの映画の例で言えば、映画にどっぷりはまっているとき、無意識は無防備に映画による介入を受けています。映画を見た後にしばらくふわふわした感じが消えないのは、無意識が強く影響を受けているからです。メタな視点に立つということは、その無意識への介入を防いでいるともいえます。つまり、意識は一種のファイヤーウォールのようなものなのです。

この意識の働きがハッキリすると、無意識が何に弱いかもハッキリします。つまり、無意識は意識にではなく、意識が働いていないときに受ける介入に一番弱いのです。

頭で分かっていても、体がいうことを聞かないという表現があるように、無意識はなかなか思い通りにならないというイメージが強いと思います。しかし、実際には、誰かからちょっとほめられるだけで、すぐいい気分になったりと、無意識は感受性豊かで影響も受け易い存在です。意識がそれを保護している為に、なかなか変わらないイメージがあるのです。


■無意識の上流へ

もし、あなたが無意識のブラックボックスを操作したいと思うなら、意識の弱い瞬間を狙うのがもっとも効果的です。女性が、風邪などをひいて弱っているときに優しくされるとコロッといってしまうという話がありますが、それも原理的には同じです。防御ができなければいいわけです。

わざわざ風邪を引くわけにはいきませんから、1日の中でそれがどういう時間かを考えてみましょう。すぐに思いつくのは、起床時と就寝時です。寝起きと寝る直前というのは、意識がはっきりしませんから、そのような状態は非常にねらい目です。

しかし、無意識が決定的に変更を受けるのは、実は寝ている間です。意識はまったくありませんから当然でしょう。

私たちは意識のある状態に注目しがちなので、意識の無い睡眠中に何が起きているのかということに対してあまり関心を払ってないように思います。しかし、脳は起きている時と同じぐらい寝ているときも働いています。つまり、無意識は寝ている間も健在なのです。寝ている間に無意識が何をしているかというと、覚醒時に起きた出来事の整理です。無意識だって、起きている間は情報処理で疲れてきますが、寝ている間に、いるものといらないものを仕分けて、疲れを癒しているわけです。

よく夜書いたラブレターを朝見直すとなんでこんなもの書いたのだろうと恥ずかしくなるという話があります。それは無意識が寝ている間に、もやもやした気持ちを整理してしまったからです。私は、寝る前と寝て起きた後は別人になっているとすら考えています。ブラックボックスである無意識の処理メカニズムが変更されているなら、それは別人と言っても良いでしょう。

無意識が上流で、意識が下流なら、睡眠はさらに上流の滝のようなものです。脳は、睡眠中に流れていった水の一部をせっせと滝の上まで運びます。そして、朝目が覚めるとまた水がどっと下流の方へと流れていくのです。

睡眠中は、最も無意識が影響をうける瞬間です。しかし、それに影響を与えるには、覚醒時にそれを仕込んでおく必要があります。その最も適切なタイミングは、無意識がリフレッシュしておりかつ意識が抑えられている状態。つまり起床時です。その後、意識ははっきりとして、逆に無意識はだんだんと疲れてきますから、処理は停滞していきます。そして、眠くなる就寝前にまた無意識が優位になって睡眠へと入るので、次に効果があるのが就寝間ということになります。
ただし、就寝前は無意識が疲れているので、高度な情報処理には向いていません。

そこで、寝る前には何も考えずに後片付けなどをして、起きた後にそれを受け取るというのがベストです。つまり、無意識を使った高度な情報処理は朝一番に、そのためのセットアップは夜寝る前ということです。

朝食をすぐ取れるようにしておくとか、掃除をしておくとか、筆記具を用意しておくなど何でも良いです。例えば、ホテルに泊まったときに、チェックインした夜は疲れ果てて寝ただけだったが、朝起きるときれいな部屋に日が差し込んでいて、食事も用意されており快適な状態でスタートできてとても幸せを感じたということはないでしょうか。これは、寝る前は色々あって疲れていたが、寝ている間に出来事が整理され、寝起きの無意識が無防備なときにリッチなもてなしをされたので、バカ正直にいい気分になったということです。無意識は感受性が高いので、そんなことで恵まれてるとか、幸せだと感じてしまいます。そして無意識は、人生の悩みのような意識上の介入を受けることなく、快適にパフォーマンスが発揮できるというわけです。

ここでは分かり易い例を取り上げましたが、準備するものは課題や書籍など思考のきっかけとなるものでも構いません。

この現象は、動物でいうならインプリンティング(刷り込み)に似ています。ただ、産まれた時に見たものを母親だと認識してしまうように、起きた時にみたものが自分に与えられた価値や環境だと思ってしまう。それが良いものであれば、意識の介入は遅れてパフォーマンスは上がり、悪いものであればすぐに意識が介入し、パフォーマンスが下がります。
ここでポイントなのは、睡眠をまたいでいるために、準備したのが自分だということを無意識は忘れているということです。無意識が疲れている間に準備し、無意識がリフレッシュしている間に受け取る。それだけで、無意識は、とてもいいことがあったと勘違いします。それを利用するのです。

それが成功すれば、朝、夜、睡眠中だけで相当なパフォーマンスがアップします。日中から夜にかけては蛇足と言ってもいいでしょう。無意識というのは、ポイントを押さえればすぐに引っかかってくれますが、理詰めや意識の介入があると、途端に強固な蔵のようになります。
意識の役割をきちんと見定めることが、無意識を使いこなす上で最も重要です。無意識には無意識で、そして意識は単なる観測者ということを忘れなければ、無意識の上流さえも操ることが可能になります。

これからの世の中には、無意識をうまく使いこなせる人が増えてほしいと思います。

2013年2月10日日曜日

一般の文章構成について


今回は一般の文章構成方法について考える。ここでいう一般とは、文芸作品以外の文章を指す。
一言で言えば、「情緒」ではなく「情報」を伝えるための文章ということだ。

まずは、一般の文章の構造を分析し、それを踏まえて構成法を述べる。


■文章における3つの階層構造

まず、文章には次の3つの階層が存在する。小さいものから順に説明する。


1.ミクロ構造(トゥールミンロジック)

「情報」を伝えるための文章の基本は論理である。それにはトゥールミンロジックという枠組みがあり、その構成要素は次のようなものだ。

・データ(D)
・根拠(W)
・主張(C)
・裏打ち(B)
・定量的判断(Q)
・例外(R)

これらの6つが、文章の一番小さい構成要素である。


2.セミマクロ構造

次に、トゥールミンロジックを1つのまとまりとして、それらを含む、節のような短い文章を考える。

まず、先ほどのトゥールミンロジックの構成要素は、大雑把に主張とそれ以外に分けることができる。「○○である」という部分と「なぜならば」に該当する部分である。これらを改めて、

・結論(C)=○○である。
・詳細(D)=なぜならば

としよう。
さらに、セミマクロ構造には、これらに加えて

・宣言(P)
・進んだ結論(AC)

が導入される。節のような短い文章の構成はこれらの組み合わせで成り立ち、代表的には次の3つの形式がある。

①C-D-AC
②P-D-C
③P-D

セミマクロの構造では、必ず文章のはじめに、結論または宣言が行われる。これは、論理とは関係なく、それを読む価値があることを相手に伝達するものである。

①C-D-AC

この場合は、はじめの結論がその伝達にあたる。まず、結論を述べることにより、相手になぜだろうと思わせて、その詳細を述べる。そして、その詳細を述べたことによるアドバンテージを得て、より進んだ結論が最後に来る。ACは必ずしもCの言い換えではなく、Cとは異なるより進んだ結論が述べられる。

②P-D-C

この場合は、はじめの宣言が価値の伝達にあたる。今から「○○について考える」や、「○○を明らかにする」、「○○とは何だろうか?」という宣言を行うことで、読者に結論を明らかにすことなく、その価値が伝達できる。その宣言後、詳細Dが開始され、最後に期待されている結論Cが述べられる。この宣言は、節のタイトルを使って行うこともできる。

③P-D

この場合は、はじめの宣言による価値の伝達は同じだが、結論がない。これは単に結論が無いのではなく、結論が不要な場合に用いられる。例えば、「○○のやり方」とその手順、「○○の分類」とその区分などがそれにあたる。これらは、その詳細自体が伝達したいことであり、それを説明すれば目的は達せられる。


3.マクロ構造(ソート&オーダー)

最後に、セミマクロ構造をさらにひとまとまりと捉えたものが文章全体のマクロ構造ということになる。マクロ構造には、大きく分けて量的なものと質的なものが存在する。

まず、量的には、文章の前後に

・プロローグ(P)
・エピローグ(EP)

が導入される。前のプロローグは、セミマクロ構造でのCまたはPと基本的に同じで、その文章を読む価値を読者に伝えるものである。これは、文章中であきらかにする重要な結論Cである場合もあれば、何を明らかにするかの宣言Pでもありうる。どちらにせよ、それを最後まで読むことのメリットが読者には伝えられる。「要約」という形をとることもある。

後ろのエピローグは、プロローグに比べると曖昧で、1つ1つの結論を踏まえてのさらに進んだ結論AACが述べられる場合もあれば、単に終わりの挨拶である場合もある。また、プロローグはあるがエピローグは無いということもよくある。エピローグにはあまり明確な機能は無い。

次に、質的な構造は、文章の順序に表れる。

1つ1つのセミマクロ構造は内容的に独立しているわけではなく、基本的には前後の依存関係(すなわち順序)が存在する。つまり、セミマクロ構造を適当に並べても大規模な文章を構成することはできない。前後の依存関係を満たした上で、内容が近いもの同士がまとめられることによって、はじめてマクロ構造は決定される。これが章を構成することになる。

単純に言えば、質的な構造は、1つ1つのセミマクロ構造のソートによって生まれる。このソート順には、前提順や、時系列順、ストーリー順、抽象度順などがあるが、もっとも頻繁に現れるのは、前提順である。前提順は、ものごとの前提となっている順のことで、基礎→応用や、方法→実践(結果)、のような順序のことを言う。

マクロ構造は、セミマクロ構造のように新しい文章が追加されるというよりは、「どのような順序か?」ということが構造を決定付けている。なので、マクロ構造の本質は「どのような順序か?」ということによって代表される。


■文章構成の根幹

文章を構成する際に、最も重要なものはマクロ構造である。つまり、C-D-ACや、P-D-C、P-Dといったセミマクロ構造の文章のソート順は何か?ということである。

セミマクロ構造には、それ自体を単体でまとめる場合、いくらかの自由度が存在する。しかし、それらが連なる場合は、その前後のつなぎ方には一定の制約が出てくる。なぜならば、C-D-AC、P-D-C、P-Dなどのセミマクロ構造のDの前後、C、AC、Pは他のセミマクロ構造との接続部分になっているからである。


これは、大規模な文章を構成する際に、1つ1つのセミマクロ構造をオブジェクト化して考えることはできないということを意味している。つまり、大規模な文章を構成する際に必要なのは、要素のオブジェクト化ではなく、接続部分を決定付けるマクロ構造のオーダーを決定することである。


大規模な文章を構築することは、大規模なゲシュタルトを構築することに等しく、全体が決まらなければ部分が決まることは無い。

そこで大規模な文章の構成順は基本的に次のようになる。

Dの決定(内容の決定)

マクロ構造の決定(ソート&オーダーの決定)

セミマクロ構造の決定(接続部分の決定)

2012年12月11日火曜日

【ストーリー解析】ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q


2012/11/17に公開された映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」のストーリー解析。


*もちろん完全にネタバレなので、まだ見ていない人は見ましょう。


■基本情報

企画・原作・脚本・総監督:庵野秀明

非常に大規模なので、詳細はwikipediaにゆずる。
- http://ja.wikipedia.org/wiki/ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

同時上映 特撮映画「巨神兵東京に現わる」

■声優情報

基本メンバーはいつもの通り。同じメンバーでやれるのはいいこと。

碇シンジ:緒方恵美
渚カヲル:石田彰
アヤナミレイ(仮称):林原めぐみ
式波・アスカ・ラングレー:宮村優子
真希波・マリ・イラストリアス:坂本真綾
葛城ミサト:三石琴乃
碇ゲンドウ:立木文彦

個人的には、鈴原トウジの妹役で沢城みゆきが出ていてテンションが上がった。
あと、大塚明夫も出てる。

林原めぐみは同時上映の「巨神兵東京に現わる」のナレーションも担当。
緊張感のあるいい演技だった。
でも、巨神兵がビームを出すところで「ドラグスレイブ!」と叫びそうになった。

■あらすじ

wikipediaの記事がよくまとまっているので、そちらを参照。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B1%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%83%B2%E3%83%B3%E6%96%B0%E5%8A%87%E5%A0%B4%E7%89%88:Q#.E3.82.B9.E3.83.88.E3.83.BC.E3.83.AA.E3.83.BC


■ドライバー

まず、メインドライバーは以下の4つ。

L-F:碇シンジが、元ネルフメンバーに拒否される。
L-L:打ちひしがれたシンジが、カヲル君に優しくされてやる気を取り戻す。
L-F:元気が出たシンジはエヴァに乗って再び世界を取り戻そうとするが失敗する。カヲル君も死ぬ。
E-G:フォースインパクトが引き起こされそうになるが、カヲルが阻止する。

一方、サブドライバーにあたるものは、次のようなものがある。

E-G:葛城ミサトら、反ネルフ組織「ヴィレ」のメンバーが初号機および碇シンジの奪取に成功する。
E-G:「ヴィレ」の艦艇「AAA ヴンダー」が、なんかよく分からん使徒っぽいものを撃破。
P:14年後の未来の設定の紹介。(ニアサードインパクトのこと、シンジの母のこと、レイのことなど。)
L-F:シンジは綾波を助けたものだと思っていたが、実は助けられてなかったようだと判明した。

また次回への伏線として、次のようなサブドライバーもある。

E:碇ゲンドウは何かを画策している。
L:アスカはシンジを気にかけている?
P:アヤナミレイ(仮称)は自我に目覚めようとしている?


ストーリーの具体的展開は次の通り。

E ヴィレの率いるエヴァ2号機(アスカ)、エヴァ8号機(マリ)が、使徒っぽいものを撃破。*1)

G 初号機および碇シンジの奪取に成功する。

P 碇シンジは目覚めて安堵するが、どうも周りの様子がおかしい。

E ヴィレの一団が、使徒っぽいものに襲われる。*2)

LF シンジはエヴァに乗って戦おうとするが、葛城ミサト、赤木リツコらに冷たく拒否される。

G エヴァ初号機を用いた、ヴィレの新型艦艇「AAA ヴンダー」の活躍により、使徒っぽいものを撃破。

P シンジは、今が14年後であることや、助けたはずの綾波レイが見つからなかったこと、エヴァに乗ったら死ぬ首輪を装着されていることを知る。*3)

E(シンジから見ればL)ネルフのエヴァMark.09(搭乗者:綾波レイ)がヴンダーを襲撃し、シンジを連れ戻しにくる。*4)

P ネルフに戻ったシンジは、碇ゲンドウにエヴァに乗れと言われる。また、同時に同乗パイロットである渚カヲルと出会う。

F シンジは、綾波レイ(実は別のクローン)に心の拠り所を求めるが、当然あまり相手にされない。

L ネルフでの空虚さの中でカヲル君のピアノに惹かれはじめる。

L カヲル君はとっても優しくて、一緒にピアノの練習とかして仲良くなる。

P(E) シンジはカヲル君に連れられてニアサードインパクトの現場に行き、シンジが初号機を覚醒させたことが原因で、第3新東京市が壊滅したことを知る。

P(F) 冬月がシンジに、綾波レイが母ユイのクローンであることを話す。シンジは、自分の知る綾波を助けられなかったことを知る。

L 自暴自棄になっているシンジの元に最後の拠り所であるカヲル君が来て、第13号機がロンギヌスの槍とカシウスの槍を手にすれば世界をやり直せると説得する。

L はじめは拒むシンジだったが、カヲルがシンジの首輪を自身に移すと、その優しさに打たれてエヴァに乗ることを決める。

L エヴァ13号機に乗り込んだシンジとカオル、護衛のMark.09(アヤナミレイ)は、セントラルドグマ最深部へ辿りつく。

E しかし、そこには2種類の槍ではなく、2本のロンギヌスがありカヲルは困惑する。

EG そこにアスカの改2号機とマリの8号機が登場し、妨害工作を仕掛けるがシンジはそれを退ける。

L シンジは、不安を抱くカヲルの制止を振り切り、2本の槍を引き抜く。

F(E) しかし、不安は的中しエヴァは覚醒し上空へと浮上を始める。これはカヲルをトリガーとした「フォースインパクト」の始まりだった。

G(E) 上空にいたヴンダーは、それを阻止すべく13号機に攻撃を仕掛けるが、Mark.09の妨害により失敗する。
| |
P(G) 改2号機がMark.09の迎撃に当たるが、結局共倒れになり双方ともエントリープラグで脱出する。 

G カヲルは自身がフォースインパクトを止めると言い、二本の槍で13号機自身を貫く。

F それと同時に、首輪が発動しカヲルは絶命する。シンジは激しくショックを受ける。

G さらにマリにより、シンジのエントリープラグが強制射出され、フォースインパクトが未遂に終わる。

P(L)先に射出されていたアスカが、すねていたシンジをエントリープラグから引きずりだし、救出可能圏内まで歩き始める。また、それにアヤナミレイも加わる。

(最終作につづく)

注釈)
*1) 正確には、初号機はネルフにより衛星軌道上に封印されており、使徒っぽいものの正体は、自動防衛システム「コード4-A」および、「コード4-B」という設定らしいのだが、視聴者はそこまで分からない。
*2) ネーメシスシリーズというらしいが、何なのかはよく分からない。
*3) この時点ではよく分からないが、後にエヴァを覚醒させる(インパクトのトリガーとなる)と発動する仕組みであることが理解される。名前はDSSチョーカー。
*4) この時点では、シンジは前作で助けた綾波が来たのだと思っている。

■マクロストーリー

マクロに見ると今作の最大のストーリー構造は、

①シンジの絶望、希望、そしてまた絶望

と見ることができる。

まず、ストーリーの前半では、シンジが旧ネルフ関係者から徹底的に拒否される。(信頼していた葛城ミサト、赤木リツコ、アスカ、成長して再登場したトウジの妹など。)そこで、シンジの心の拠り所は、前作で助けた(と思っている)綾波へと向かうが、その助けようとした行為が悲惨なニアサードインパクトを引き起こしたこと、しかも、助けたはずの綾波すら助かっていないことなどを突きつけられ、それもまた絶望に変わる。そこに救済の使者として、カヲルという存在が出て来るのだが、結局フォースインパクトの開始、カヲルの死という最悪の結果に終わる。

細かく言えば、絶望→希望→絶望→希望→絶望となんともブンブン振り回されている。最後のアスカの助けを希望と捉えると、最後に少しだけ希望が見えたということになるのかもしれない。

ともかく、戦闘シーン以外では、時間のほとんどがシンジの心理描写に割かれており、映画館のポスターがシンジとカヲルというのもうなづける。

また、もう一つの重要な構造は

②とにかくフォースインパクト事件を起こす必要がある

ということだ。本作を見て、

1.旧ネルフ職員達はそこまでシンジを拒否するだろうか?もっと同情的なのでは?
2.カヲル君に説得されてエヴァに乗ったのに、カヲル君の言うことを聞かずに槍を抜くだろうか?

という疑問がわいた人も多いと思う。前作ラストでミサトさんは、綾波を助けようとするシンジに「行きなさい、あなた自身の願いの為に!」みたいなこと言っていたし、サードインパクトを起こしたからって冷たすぎる。カヲル君にしても、シンジにとってカヲル君は自分を導いてくれた存在であって、どちらかというと従属的であったはずだ。

このようなストーリーとキャラクターの不一致は、今作のストーリーの中でフォースインパクトが強力な「規定事項」であることを強く示唆している。要するに、キャラクターの整合性を犠牲にしても、達成しなければならない展開だということだ。(もちろん、うまいシナリオライターなら両者を一致させるのだが。)

この点から、フォースインパクト事件は、単なる演出上の盛り上げではなく、最終作、あるいはエヴァ4部作全体を通してのマスターピースであると推測できる。

■最終作のドライバー予想

そうなってくると、やはり最終作の焦点は、「ゲンドウの狙いは何か?」ということになる。サードインパクトの前に、ゲンドウは「初号機覚醒を早めなければならない」と言っていたし、冬月も「やはりシンジとレイで初号機覚醒は成った」というような発言をしている。今作でも、フォースインパクト前にカヲルが「そういうことか」というようなことを言っているし、フォースインパクトがゲンドウらによって画策されていたのは確定的だ。

14年の時を経て、旧ネルフ職員達が反ネルフ組織として活動しているのもそれを阻止する為というのは合点がいく。

ゼーレの最終目的は「人類補完計画」かもしれないが、ゲンドウらは明らかに別の目的を持っている。それが他作同様に「死んだユイにもう一度逢うこと」なのか、「ユイの復活」なのか、「ユイのいる世界の創造」なのかは分からないが、最終作のメインドライバーは「ゲンドウの狙いとその阻止(E-G)」である可能性は高い。今まで、その布石は十分に置かれて来たはずだ。

アダムスとリリスは何なのか?
使徒とは何なのか?
エヴァとは何なのか?
エヴァの覚醒によって何が起こるのか?
2本の槍の使い道は何なのか?
ネブカドネザルの鍵はどう使われるのか?

前作破の中で、ゲンドウはシンジに「自分の願望はあらゆる犠牲を払い、自分の力で実現させるものだ。他人から与えられるものではない」と発言している。もちろん、これは一般論を言っているのではなく、その「願望」こそが、ゲンドウの狙いであり、ストーリーの核心であることを視聴者に伝えている。

この発言からは、その願望が「人類補完計画」というような人類規模の願望ではなく、個人的な願望であるということも感じられる。(もし、人類規模の願望であれば、「自分の願望」という言い方はしないだろう。)ゲンドウにとって重要な「ユイ」に関係することは確定的だが、どのような形でそれが実現されるかは不明である。

しかし、ごく単純なストーリー展開から言えば、それに必要な「あらゆる犠牲」はシンジや旧ネルフ職員達には到底受け入れられないものなののはずだ。そうでなければ、ストーリーにならない。例えば、前作でゲンドウが3号機に取り込まれたアスカを見捨てたことを思い出して欲しい。これがもっと大規模に起こるのだろう。

結果としておそらくゲンドウは死ぬことになるだろう。生き残ったエンディングが想像できないし、悪役は何らかの形で退場せねばならない。悲惨な死ではなく、ある程度願いを全うした上での死というのが可能性としては高い。

さて、最終作のストーリーを推定する上でもう一つ重要なことを指摘しておかなければならない。それは、ヱヴァンゲリオン新劇場版の主人公はあくまでシンジだということだ。序、破、Qのすべてがそうであるし、最終作も例外ではないだろう。Qの最後に腑抜けになっているシンジだが、最終作ではまた何らかのきっかけによって持ち直すはずだ。

ここで重要になってくるのが綾波レイの存在だ。Qの中で、冬月がシンジに「レイは初号機のコアに取り込まれた」と説明しているが、この説明にはストーリー上の疑問が残る。破で壮大に持ち上げたはずの綾波レイがこのままフェードアウトするとはとても思えない。Qに登場した、アヤナミレイ(仮称)が自我を持ち始めている点から言っても、それとリンクする形で復活する可能性がある。つまり、アヤナミレイ(仮称)に綾波レイの「魂」が同期する形での復活、あるいは、アヤナミレイ(仮称)の犠牲の上になりたつ、綾波レイとの再会である。シンジをやる気にさせるには、十分な要素だ。

これをゲンドウの狙いと組み合わせると、必然的に、ゲンドウの狙いとシンジの希望(=綾波を助けること)は排他的でなければならない。そして、そのキーとなるのが肉体を失った綾波レイの魂ということになる。

父と子、ユイとレイ、過去か未来か、これらの対称性は非常に良く出来ている。そしてセオリーとしては、子が、ヒロインが、未来が勝つ。

もちろん、それほど単純でなければ、最終的にはレイも失われ、納得の悲劇=シンジが大人になる的な展開で幕を閉じるのかもしれない。
その場合は、レイを救うこと=世界が滅びることになっている可能性もある。それならば、Qの時点で人類補完計画、あるいはゲンドウの狙いを知っているであろう葛城ミサトがシンジに冷たくあたる理由が説明できる。シンジがレイを救おうとすれば世界が滅んでしまうからだ。

細かいフラグはかなりの数が残っているが、メインドライバーは以上のようなものが濃厚だ。
細かいことを言い出すとキリが無いのでこの辺で止める。



ヱヴァ最終作はとても楽しみだ。期待している。

2012年7月22日日曜日

【ストーリー解析】「おおかみこどもの雪と雨」


2012/7/21に公開された映画「おおかみこどもの雪と雨」のストーリー解析をする。


*完全にネタバレなので、まだ見ていない人は見ましょう。



■基本情報

監督・原作 - 細田守
脚本 - 細田守、奥寺佐渡子
製作 - スタジオ地図/おおかみこどもの雨と雪製作委員会

細田守監督によるオリジナル長編アニメの第二作目。脚本は「時をかける少女」、
「サマーウォーズ」を手がけた奥寺佐渡子と細田守。おそらく、大まかなストーリーは原作者でもある細田が考えたのではないだろうか。

■声優情報

主に俳優、女優などを起用。

花 - 宮崎あおい
彼(おおかみおとこ)- 大沢たかお
雪 - 黒木華、大野百花(幼少期)
雨 - 西井幸人、加部亜門(幼少期)

突然、林原めぐみが出てきて気になってしょうがなかった人もいるかと。「ゲド戦記」に出た菅原文太も出演。

■あらすじ

主人公である花が「おおかみおとこ」との間に授かった2人の子供を懸命に育てる話。ストーリーは公式のあらすじでほとんど語られており、細田守はあまり隠す気がないらしい。一応のネタバレは、姉の雪は人間として、弟の雨は狼としての生活を選択すること。

形式としては雪のモノローグであり、映画の冒頭から要所要所で雪の「語り」が入る。この形式には、声の主が雪であると観客に気がつかせる一方で、「雨との別れ」を示唆する高度な狙いがある。雨がおぼれたシーンで「ひょっとして雨は死んでしまうのでは」と思った人も多いはず。

■ドライバー

メインドライバーは、

1.花が子供達の成長を見届ける(L-F-L)
2.雪が人間としての生き方を見つける(L=E-G)
3.雨が狼としてのの生き方を見つける(L=E-G)

の3つ。

サブドライバーとしては、

1.花とおおかみおとこの恋(L-L)
2.田舎ぐらしを近所の人に助けられる。(E-G)
3.山で滑落した花を、雨が助ける(E-G)

などがある。

全体の構成は次の通り。

L 花は大学の授業に潜っていた「彼」に恋をする。

L 花と彼の関係は次第に深まっていく。

E(L)彼は自分が「おおかみおとこ」であることを打ち明ける。

G(L)花はそれを受け入れる。

P 花と彼の間に長女「雪」が生まれる。

P 花と彼の間に長男「雨」が生まれる。

E 彼が不慮の死を遂げる。

L 花は二人の子供を育てようと決心する。

EG「おおかみこども」であることを隠しながらの生活に限界を感じ、田舎に越す。

E 収入が無く、野菜も上手く育たない。

G 近所の人の助けで、生活が軌道に乗る。

P 子供たちは成長し、小学校に通うようになる。

P 雪は、友達との交流から人間の女の子としての生き方を意識するようになる。

P 雨は、学校に溶け込めないでいる。

P(EG)雨は川で溺れそうになった事故を通じて、自然の世界に惹かれていく。

L 雨が森のキツネを先生と呼び慕うようになる。

E 雪が「おおかみ」であることを知られそうになる恐怖心から、転校生の草平に狼の姿で怪我を負わせてしまう。

G 花と雪が、草平の母に謝り、一応は解決する(伏線)。

EG 雪は学校を嫌がったが、草平が根気よく家を訪れ、雪はまた学校に通うように。

P 雪と雨が、おおかみか人間かをめぐって対立する。

P 大雨が襲来。森のキツネが死ぬ。

F(E)花は、雨が狼として歩み始めていることに戸惑いを感じる。
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P(E)雨は、先生の後を継ぐ決意をし、森へ。
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E(G)花は、雨を追って森に入るが、山で滑落し意識を失ってしまう。

P 一方で、学校に取り残された雪は草平と二人きりに。

P 草平は、親の問題を打ち明ける。

G(L)雪は、自分が「おおかみ」で草平に傷を負わせてしまったのが自分であることを打ち明ける。

L 草平は、その気持ちに応える。

G 雨は花を助ける。

F 雨は、森へと旅立つ。花はそれを止めようとする。

L 雨が旅立ち、咆哮。花は、その姿に子供の巣立ちを確信する。

P エピローグ

マクロに見ると全体の構成としては、4つの物語が展開されている。

①花と彼の出会い
花と彼は恋に落ちる。彼は不安がりながら「おおかみおとこ」であることを明かすが、花はそれを受け入れ、2人は「雪」と「雨」を授かる。(L-L-F-L)

②雪の成長譚
雪は初めは活発で狼らしく走り回っていたが、学校に行き始めてから人間の輪から外れてしまうことを恐れ始める。それがきっかけで、雪はささいなことから草平に狼の姿で怪我を負わせてしまう。しかし、草平はそれを理解し、雪がおおかみであるという秘密を隠し通して、雪を「おおかみ」であることの葛藤から解き放つ。
(L-E-G-F-L)

③雨の成長譚
雨は初めは引っ込み思案で甘えん坊だったが、川で溺れた事件(狩りの成功体験)をきっかけに、次第に自然への興味を深めていく。雨は、森のきつねを先生とよび慕う。しかし、大雨により先生が死に、その後を継ぐことを決意する。(P-L-E-G)

④花の子育ての物語
花はとにかく一生懸命子供たちを育てていく。しかし次第に、人間らしくしようとする雪と、野生に目覚めていく雨とのギャップに不安を感じ始める。おおかみでも人間でもどちらでも選べるようにと思っていたはずなのに、花には雨の生き方を受け入れる準備ができていなかった。初めは雨を引き止めようとする花だが、最後には狼として立派に成長した雨の姿を見て覚悟を決める。それは、花が「母」としての最後の成長を遂げた瞬間だった。
(L-F-E-G-L)

■演出

まず冒頭から度々登場する、実写にかなり近い作画に目を奪われる。特に背景などは実写とアニメの中間のようだ。多くのシーンでCGも使われている。舞台が自然豊かな田舎ということもあり、「トトロ」や「もののけ姫」などのジブリ作品と比較をしたくなる。怪しさや誇張という点から見ると最近のジブリよりもあっさりしており、「トトロ」のそれに近い。
題材が「おおかみこども」ということもあり、「崖の上のポニョ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」にもつながる部分もある。

キャラクターなどの主線部については、走るシーンが多くよく動く。あと、多分、子育てをしている親にとっては「あるある」といったネタが多いのだろうと思う。

おそらくコンセプトは、「自然美」、「狼としてのリアリティ」、「リアルな子育て」といったところか。

■総評

この映画の対象年齢は、子供のいる30代とその子供かもしれない。親は泣いて、子供は狼を見て喜ぶのだろう。子供のときは分からないが、大人になって本当の意味が分かる映画になっているように思う。

映像美は、現代アニメの最高峰と言っても過言ではない出来栄え。とにかく背景と、動きがすごい。しかし、ストーリーには若干の問題がある。まずストーリーが長すぎる。ひとつひとつのエピソードが単発になっており、全体としての流れを欠いている。農作業、自然観察員、川で溺れるくだりなど、メインドライバーと関係の薄いエピソードは除くか、メインドライバーと絡ませる必要があっただろう。

あと男としては、雨にもっと活躍して欲しかった。

■いくつかの謎

設定について、微妙な点が結構ある。

①おおかみおとこの名前
なぜか彼(おおかみおとこ)には名前が無い。というより、おおかみおとこなのに設定がほとんど明らかにならない。

②おおかみおとこの死の謎
死なないと話が進まないのは分かるが、全くの謎というのもどうだろう。

③檻の狼の意味
檻の狼は伏線でも何でもない。

④無口な先生
先生がきつねってどうなの。しかも、全然しゃべらない。どうも知能はあるらしいが、設定が謎。

⑤雪を迎えに行かなくてもいいの?
雨のことを山に探しに行く花の行動に違和感。もう少し、どうしても追いかけなければならない演出が必要だったのかも。

⑥何も言わずに旅立つ雨
何か言っても良さそうなのだが、何も言わない。また、花とは何となく別れを交わしたが、雪とはさっぱり。

⑦雨は家近いんだしたまに帰ってきたらいいんじゃないの?
だよね。

⑧雨って結局なにしてんの?
山の自然観察員みたいなもん?

⑨戸籍とか??
多分なんとかなってるんだろう。

■ストーリー改善案

この作品のストーリーの問題点は、ひとつひとつのエピソードがばらけていることにある。一応、全体を貫くドライバーは、子育てと子離れ(L-F-L)ということになるのだが、だとすると野菜がうんぬんは長すぎた気がする。また、父親であるおおかみおとこのキャラが薄すぎて、役に立っていない。
そこで、

①花が雨と彼をダブらせる描写を入れる。
例えば序盤の変身シーンと、後半の雨の変身シーンをダブらせる。前半で彼に
花をおんぶさせておき、後半で雨が花をおんぶするシーンにつなげるなど、雨の成長を描く。

②花の言葉の中に、彼の言葉を入れる。
雨と父親の接点が無いので、花の言葉の中にそれを織り交ぜておく。視聴者には、それが雨に受け継がれていることが悟れるように。おまじないでも良い。
候補は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」とか。彼の口癖にしておけばいい。

③雪が怪我をさせたとき、それを雨がかばう。
しかし、それが原因で雪と雨の溝は深まり、雨は学校から距離を置く。

④溺れたとき助けてくれるのは「先生」
その方が、雨が森に惹かれるきっかけになる。

⑤雨が雪を追い越す描写を入れる。
ケンカがただのケンカになっているので、その後に雨が雪を助ける描写を入れる。雨には「母さんを頼む」ぐらいは言って欲しかった。

つまり、後半のドライバーは「急成長する雨」を主軸に置く。


これらを踏まえると、次のようになる。

(前半は同じ)

P 子供たちは成長し、小学校に通うようになる。

P 雪は、友達との交流から人間の女の子としての生き方を意識するようになる。

P 雪は雨を学校に誘う。

E 雪が「おおかみ」であることを知られそうになる恐怖心から、転校生の草平に狼の姿で怪我を負わせてしまう。

P それを雨がかばう。

G 花と雨が、草平の母に謝り、一応は解決する(伏線)。

P 雪は花に本当のことを話す。でも、草平には本当のことを言えないでいる。

EG雪は学校を嫌がったが、草平が今期よく家を訪れ、雪はまた学校に通うように。

P 溺れた事件をきっかけに、雨が森のキツネを先生と呼び慕うようになる。
花は事件と彼の死を重ね合わせて、大切なものを失うことに恐怖する。

P 雪と雨のケンカ。

F(E)花は、雨が狼として歩み始めていることに戸惑いを感じる。

P 大雨が襲来。森のキツネが死ぬ。

P(E)雨は、先生の後を継ぐ決意をし、森へ。

E(G)花は、雨を追って森に入るが、山で滑落し意識を失ってしまう。

P 一方で、学校に取り残された雪は草平と二人きりに。

G(L)雪は、自分が「おおかみ」で草平に傷を負わせてしまったのが自分であることを打ち明ける。

L 草平は、その気持ちに応える。

P 雪は異変に気がつき、山に花を探しに。

G 雨は花を助ける。花は彼とのをだぶらせ、雨の成長を感じ取る。

P そこに雪が駆けつける。

F 雨は、森へと旅立とうとする。花はそれを止めようとする。

L 雨は、雪に花を託して旅立ち、咆哮。花は、その姿に雨の巣立ちを確信する。

P エピローグ

これで、ドライバーの関連性が確保され、ストーリーの強度が増した気がする。