スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチが良いので翻訳した。大部分は忠実に訳したつもりだが、活字の文として読み易く改変した箇所も多々ある。もちろん、このスピーチについては他にも翻訳しておられる方が沢山おられるので他のものも参考にしていただきたい。
翻訳文や字幕によって少しずつニュアンスが違うのが面白い。
しかし、ニュアンスという点ではやはり生には適わないものがある。
動画がyoutubeで見られるので気になる方はこちらを。動画の日本語字幕は
mbp&coとある。
http://www.youtube.com/watch?v=qQDBaTIjY3s
英語版の書き起こしは
http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404
で見られる。
以下、翻訳文と訳者注。
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スティーブ・ジョブズ
2005年スタンフォード大学卒業式のスピーチ全文(和訳)
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(聴衆に応えて)ありがとう。
今こうして、世界でも最高峰の大学の卒業式に同席できることをとても光栄に思います。実のところ、私は大学を卒業していないので、これが私の経験する「大学の卒業」に一番近い経験ということになります。
今日、私が皆さんに伝えたいのはある3つの話です。それだけです。大したことはありません。たったの3つです。
◇
1つ目は「点を繋ぐ」という話です。
私はリード大学をはじめの6ヶ月で中退したのですが、本当に辞めてしまうまでの18ヶ月間は相変わらず大学にもぐりこんでいました。では、なぜ私は中退したのか?それは私が産まれる前にまで遡ります。
私の生みの母は若い未婚の大学院生で、私を養子に出そうと決めていました。生みの母は、大学出の方にと強く願っており、私がある弁護士夫婦の元に行けるようにと準備をしていました。ところが、その弁護士夫婦は最後になって「やっぱり女の子がいい」と決めたのです。そこで、順番待ち名簿に載っていた私の両親の元へ、夜遅く一本の電話がかけられました。「予定外の男の子がいるのですが、どうですか?」と。両親は「もちろん」と答えました。
後になって生みの母は、私の母が大学を出ておらず、父も高校を出ていないことを知りました。それを聞いて、生みの母は養子縁組のサインを数ヵ月間拒みましたが、私の両親が「子供を大学に入れる」と約束することで折れました。
これが私の人生の始まりです。そして、17年後、私は大学に入ることになりました。しかし、私が世間知らずにも、スタンフォードと同じように学費の高い!大学を選んでしまい、労働者階級であった両親の貯えはほとんど大学の授業料へと消えていきました。
6ヵ月後、私は大学に価値を見出せずにいました。私は「人生でやりたいこと」も無かったですし、それを大学が「どう導いてくれるか」も分からなかった。それなのに、私は両親が一生をかけて得たお金をすべて使っている……。だから、私は中退することを決めたのです。きっとうまくいくだろうと信じて。
そのときはとても怖かったですが、振り返ってみると最良の決断だったと思います。中退した瞬間に、興味の無い必修クラスに出なくても良くなりましたし、もっと面白そうな授業にもぐり込むこともできました。
もちろん、すべてが薔薇色ではありませんでした。寮が無いので、友達の家の床で寝ていました。5セントのためにコーラの空き瓶を集めて、食べ物を買ったりもしました。毎週日曜の夜には、町から7マイル離れたクリシュナ教団の寺院にいって食事をもらっていました。あれはとても良かった。
そうやって、好奇心と直感にしたがって巡り合った多くのものが、後になってかけがえの無いものに変わっていったのです。1つ例を挙げましょう。
当時、リード大学はおそらくアメリカで最も優れたカリグラフィー(西洋書道)の教育を行っていました。キャンパスのあらゆるポスター、(引き出しの)ラベルは手書きで美しく綴られていました。私は中退していて通常の授業を受ける必要がなかったので、カリグラフィーの授業を受けてその方法を学ぼうと決めました。私は、セリフ体やサンセリフ体、文字の組み合わせごとに変わる空白の大きさ、何が素晴らしいタイポグラフィをそうさせるのかを学びました。それらはとても美しく、歴史深く、芸術的で、科学では捉えられないような繊細さを備えていました。私はそこにとても魅力を感じたのです。
このような経験が私の人生の中で、何かの役に立つとは少しも思っていませんでした。しかし10年後、私が最初のマッキントッシュのコンピューターをデザインしたとき、それらがすべて甦ってきました。そしてそのすべてをMacの中に注いだのです。それは美しいタイポグラフィを持つ、世界で初めてのコンピューターでした。もし、私がその授業にもぐりこんでいなかったら、Macは多様な書体やプロポーショナルフォントを持ち得なかったでしょう。「Windows」は単にMacの複製品だから、そのような(美しいフォントを持った)パソコンはこの世に存在しないことになります。
(聴衆が沸く)
もし、私が中退していなかったらカリグラフィーの授業にもぐることもなかったし、パソコンも素晴らしい書体を持ちえなかったでしょう。もちろん、大学にいたころにそれらを見通し「点を繋ぐ」ことは不可能でした。しかし、10年後の今、振り返ればそれらの点はとても鮮明に繋がれているのです。繰り返しになりますが、未来に向かって点を繋ぐことは出来ません。出来るのは過去を振り返ってそれらの点を繋ぐことだけです。だから、私達はそれらの点が将来予期せぬ形で繋がっていくということを信じなければいけません。
あなたは何かを信じる必要があるのです。それは根性、運命、人生、カルマ、何でも構いません。なぜなら、それらの点が繋がり道になると信じる事、そのことが、決まりきった道を外れ人と全く異なる道を歩んでいるあなたに、「ただあなたの心に従えばよい」という確信を与えてくれるからです。
◇
2つ目の話は、「愛と喪失」についてです。
私は幸運でした。人生の早い段階で大好きなことを見つけることが出来たからです。私が20歳のとき、ウォズと私は両親のガレージでAppleを始めました。私たちは10年間必死に働き、たった2人で始めたAppleは20億ドル、従業員は4000人を越える大企業になりました。その1年前、私達は最高の製品マッキントッシュを送り出し、(次の年)私は30歳になりました。ところが、なんと私はクビになったのです。創業者がクビだなんて、ありえますか?
私たちはAppleが大きくになるにつれ、才能があり一緒に働いてくれる人達を雇っていきました。はじめの1年ぐらいはうまく行っていたのですが、私たちのビジョンは次第に食い違うようになり、最終的に決裂してしまいました。その時、取締役会が彼に味方し、私は30歳にして退職することになったのです。とても有名な退職でした。
私の人生の焦点すべてが消え去り、とても壊滅的でした。数ヶ月は何をすべきなのかが分からず途方にくれていました。私は先人の起業家達を失望させるとともに、彼らから受け継がれたバトンを落としてしまったのだと感じました。私はデビッド・パッカードとロバート・ノイスに台無しにしてしまったことを詫びようかと考えました。私はとても有名な落第者だったので、シリコンバレーから逃げようかとも思いました。しかし、次第に何かが見えてきたのです。
それでも私は、今までやってきた仕事が好きなのだと気がつきました。Appleで起こった出来事はそれを少しも変えませんでした。私は拒絶されてもまだ、その仕事が好きだったのです。だから私はもう一度それを始めてみようと心に決めたのです。
その時は分かりませんでしたが、Appleからクビになったことは人生の中で最良の出来事でした。成功者としての重圧は、再び駆け出しの頃の軽快さに変わりました。自信はなくなりましたが、クビになったことは私を自由にし、私を人生で最もクリエイティブな期間へと導きました。その後の5年間の間にNeXTという会社とPixerという会社を設立し、私の妻になる素晴らしい女性とも恋に落ちました。Pixerは世界で初めてコンピューター・アニメーション映画「トイストーリー」を生み出し、今では世界で最も成功したアニメスタジオです。
(聴衆が拍手を送る)
思いもかけずAppleがNeXTを買収し、私はAppleに復帰することになり、私たちがNeXTで培ってきた技術は現在のAppleの再生の中心的存在となっています。また、ロリーンと私は今や素晴らしい家族と共に暮らしています。
もし、Appleをクビになることがなければ、このようなことは起きなかったと確信を持って言えます。それはひどい味の薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。
人生では時々、頭をレンガで殴りつけられるような事態に陥ることがあります。でも、信念を失わないでください。私がここまで来られたたった一つの理由は、自分の行動を愛せたことです。あなたも愛せるものを見つけてください。それは仕事についても、恋人についても言える事です。仕事はあなたの人生の大部分を占めることになると思いますが、それを本当に満足のいくものにするたった1つの方法は、それが素晴らしい仕事だと信じること、そして素晴らしい仕事をする唯一の方法はそれを愛することなのです。
もし、あなたがそれをまだ見つけていないなら、探し続けて立ち止まらないことです。心に関する他の問題と同じように、それを見つけたときは分かります。そして素晴らしい人間関係と同じように、年を重ねれば重ねるほど良くなっていきます。だから、探し続けること、立ち止まらないことです。
◇
3つ目の話は「死」についてです。
私が17歳のとき次のような言葉に出会いました。『もし、毎日を人生最後の日のように生きていれば、いつか確実にその日がやってくるだろう』。私はその言葉に衝撃を受け、それから33年間、毎朝鏡の前で自分に問いかけています。「もし今日が人生最後の日だったとしたら、今日やろうとしていることは本当にやりたいことだろうか?」。何日も続けて「NO」という答えが続くとき、私は何かを変える必要があると気付くのです。
もうすぐ死ぬかもしれないと心に留めておくこと、それは人生における重大な決断を導く、最も重要な教えです。ほとんど全てのこと、周囲からの期待、プライド、失敗や恥への恐怖、それらは死に直面すれば消えうせてしまうのです。そこに残るのは、本当に大切なものだけです。「死」を心に留めておく事は、何かを失うということに心が捕らわれないようにする最良の方法なのです。君達ははじめからありのままなのです。自分の心に従わない理由などありません。
1年前、私はがんと診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたのですが、私のすい臓には腫瘍がはっきりと写っていました。そのとき私はすい臓が何かすら知りませんでした。医師はそれがほぼ間違いなく治療不能な種類の癌であり、3ヶ月から6ヶ月より長くは生きられないだろうと言いました。医師は私に家に帰ってやり残していることを片付けなさいと言いました。それは、「死ぬための準備をせよ」という意味なのです。つまり、これから先の10年の間に子供達に伝えようと思っていたことを数ヶ月の間に伝えよということです。家族が出来るだけ困らないように、すべてを整えておけということです。つまりそれは、「さようならを言っておきなさい」という意味なのです。
私は診断結果を抱えて丸一日を過ごしました。その夜遅く、私は生体組織検査(生検)を受けることになり、食道から内視鏡を入れ胃を通じて腸にまで下ろし、すい臓に針を刺して腫瘍から細胞を取り出しました。私は鎮静状態でしたが、側にいた妻が顕微鏡で細胞を見ていた医師が叫んだと教えてくれました。その細胞が、手術で治療可能な非常に珍しいすい臓癌のものだと判明したからです。私は手術を受け、あり難いことに今も元気です。
(聴衆は神妙に聞き入りつつも、拍手を送る)
これが私が死に最も近づいた経験です。この先数十年はそうであって欲しいと思います。この経験を通じて、私は「死」について、有用ではあるものの単なる知的概念だ、と考えていたころよりもはっきりと確信を持って述べることができます。
「誰も死にたくない」。たとえ、死んで天国へ行きたいと思っている人たちでさえもです。しかし、それにもかかわらず、「死」というものは私たちが共有する終着点なのです。誰もそれを逃れることは出来ません。そして、「死」はそうあるべきなのです。なぜなら「死」というものは生命の作り出したおそらく唯一最良の発明品なのだから。「死」は人生に変化をもたらすエージェントであり、古きものを消し去り、新たなものに道をあけます。
今まさに、新たなものは君達です。しかし、いつの日か、そう遠くない日に君達も古きものになり次第に消え去っていくでしょう。大げさな言い方で申し訳ないのですが、それは紛れもない事実なのです。君達の時間は限られています。誰かの人生を生きて無駄にしてはいけません。教義に捉われてもいけません。それは誰かの考え出した答と共に生きることだからです。他人の意見というノイズによって、心の内なる声、気持ち、直感をかき消されてはいけません。それらは最初から、あなたが本当に望んでいるものを知っているのです。それ以外のあらゆる事は、二の次です。
私が若い頃、全地球カタログという私たちの世代のバイブルともいえる、驚くべき本がありました。
ここからそう遠くないメロンパークの、スチュアート・ブランドという編集者が作ったその本は、彼の詩的な表現で見事にまとめられていました。これは60年代の後半、パーソナルコンピューターがまだ出ていない頃で、すべてタイプライターやハサミ、ポラロイドカメラで作られていました。これはGoogleが出てくる35年以上前の、Googleのペーパーバック版という感じのものです。そこには理念があり、優れたツールと偉大な信念で満ち溢れていました。スチュアートと彼の仲間は何冊かの全地球カタログを刊行し、一通りやり終えたのちに最終号を出版しました。70年代の半ばごろで私は君達とちょうど同じぐらいの歳でした。
最終号の裏表紙は早朝の田舎道の写真でした。あなたがとても冒険好きならきっとヒッチハイクしている時に見るような光景です。そして、その下には「Stay hungry, stay foolish(ハングリーであれ、馬鹿であれ)」と書かれていました。それは彼らの活動を締めくくる、別れのメッセージなのです。「Stay hungry, stay foolish(ハングリーであれ、馬鹿であれ)」。私自身もそうありたいと思います。そして今日卒業を迎え、新たな一歩を踏み出す皆さんにもそうあってほしいと思います。
「Stay hungry, stay foolish(ハングリーであれ、馬鹿であれ)」。
以上です。みなさん、ありがとう。
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■訳者注
アメリカの大学では「中退」や「休学」というものは無いそう。各セメスターを同じ大学で連続して受講する必要は無く、新しいセメスターを受講しなければ、授業がなくなるだけで、別に退学扱いになるわけではない。ドロップインはもぐりのこと。
セリフ体、サンセリフ体は英語の書体のこと。
セリフ (serif) は、タイポグラフィにおいて文字のストロークの端にある小さな飾りを意味する。セリフのない書体はサンセリフと呼ばれる(sans-serif: フランス語で「セリフがない」という意味)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%95
プロポーショナルフォント (Proportional Font) とは、文字毎に文字幅が異なるフォントのこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%95
デビッド・パッカードは、世界的に有名なコンピュータ関連企業であるHewlett Packard社の共同創業者である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89
また、ロバート・ノイスは米国の半導体技術者であり、半導体集積回路(IC)の発明者の一人として、またIntel社の共同創業者として知られている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%82%B9
2011年10月10日月曜日
2011年10月9日日曜日
1日1回死ぬ生活~人生分割論~
■「私」という連続性
むかし、養老孟子氏の講演会に行ったことがある。そこで彼は、脳というものは「同じ」という機能を持つと言った。
なぜ、お店で買い物が出来るのか。それは商品とお金(ただの紙切れ)が脳の中で「同じ」価値を持つからだ。
本来、同じでないものを「同じ」とみなすこと、それが脳の機能である。
例えば、昨日の私と今日の私が「同じ」と認識するのも脳の働きだ。
もちろん今日の私は、髪が少し伸びていたり、代謝によって構成成分が変わっているだろう。しかし、それを「同じ」と捉えるのが脳の働きというわけだ。
さらに言えば、「同じ」ということを維持しようとする力も働く、これは自己恒常性維持機能(ホメオスタシス)と呼ばれている。
この力によって、私たちは常に「同じ」私でいつづけることが出来るわけだ。
■「私」という弊害
しかし、その私にも終わりは来る。死である。私たちは死について自覚することは出来ない。死んだら意識は無いからである。
そこで私たちは、死そのものではなく、死という概念と対峙している。
私たちの命は限られており、その先には「私」の死というものがある。「私」という限りある連続性は、より巨大な「社会」とか「生命」の連続性に包含されていく。
その巨大な連続性に引き継がれていくものは思想だとか、知識だとか、命そのものであり、個としての「私」ではない。
そこで、生きているうちに「私」というものから何かを成したいと考えるのは自然な事である。「私」とその死というものが、限りある「私」が成すべきことを教えてくれるのだ。
だが一方で、「私」というものは怠惰を生み出す原因にもなる。例を2つほど挙げよう。
まず、死という実感が薄いことである。命に限りがあるといっても、ほとんどの人間は病気にでもならない限り自分が死ぬという実感は無い。そこで「私」の長い人生の中の1日ぐらいサボっても構わないと考える。「私」がサボろうが働こうが損するのも得するのも「私」であるから自己責任で一行に構わない。そう考えると、「私」は怠惰の温床になる。
もう1つは、「私」より「誰か」の方が圧倒的に多いということである。「私」がやらなくても、そのうち「誰か」がやってくれると考えれば、「私」が成す意味は無くなる。ここでも「私」は怠惰の温床になる。これは「一身独立して、一国独立す」と言った福澤諭吉先生の憂いた状況でもある。
■私は1人か?
このような「私」の弊害から脱出し、「私」の心の声を聞き、情熱を燃やし続けるにはどうすればよいだろうか。
それは、「私」をもっと限りあるものにすることである。
先の講演の中で、「私」というものが実は不連続であるという話があった。「私」というものは連続ではなく、毎日途切れているというのだ。なぜだか、お分かりになるだろうか?
笑い話のようだが、夜寝るからである。寝ているときは意識が失われ「私」というものはない。だから、「私」というものは毎日途切れている。途切れているにも関わらず、朝目覚めたときに今日の「私」は昨日と同じ「私」だと思って疑わない。起きたとたんに「私は誰だろう」という人がいたら、手間がかかってしょうがない。
しかしその当たり前であることを、よく考えて欲しい。今日の「私」は本当に昨日の「私」と同じ「私」だろうか?
昨日の「私」を今日の「私」と別の人だと考える。それが「私」をもっと限りのあるものにする方法である。
記憶があるじゃないかと言う人もいるだろうが、記憶も含め、生活品や何から何までを引き継いで、今日という日にあなたは「新しく」生まれてくるのだ。
「私」は色んなものを引き継いではいるが、今日の「私」に残された時間は今日という1日だけである。「私」の役割はその限られた時間を使って、その生活を「明日の私」に引き継ぐことだ。
今までの「私のため」という行為は、「私のため」と「明日の私のため」という2つの行為に分かれる。本当に「誰のため」でもない刹那的な「今日の私」の為の自己満足的な行為と、連綿と続く「私」という巨大な歴史を紡ぐための「明日の私のため」の行為である。
「私」の行為の中で、「明日の私」に受け継がれていくものは、「明日の私」にとって嬉しいことだけであり、そうでないものはその日のうちに消えていく。「今日の私」のために生きるか、「明日の私」のために生きるか、それはあなた次第である。
もし、あなたが何か目標を持っており、「明日の私」のために生きようとするなら、この考え方はあなたを大きくサポートする。
この考えに立ったとき、これからあなたをサポートするのは、あなたという「歴史」を織り成してきた「昨日の私」達の成果である。あなたは1人ではなく、1年で365人のあなたが誕生し消えていく、彼らは皆、あなたが今日生きるために生きてきたのである。そして、今日の私は、そう望めば、明日の私達のために生きることができる。
このように作られる「歴史」プロセスはまさに、「私」と「人類」のプロセスと同じである。「私」という連続性はより細かな「私」の連続性から生成され、「人類」という連続性もまたより細かな個人という連続性から生成される。
あなたの中に、その連続性の階層を持つことが、他の「誰か」ではなく今日の「私」に意味を持たせることになる。
■明日の私のために
あなたは、ついてない日や、うまくいかない日があれば「今日はついてない。明日頑張ろう」と言うかもしれない。しかし、人生の最後を迎えたそのときに、「今回の人生はついてなかった。また次の人生で頑張ろう」などとは決して言わないだろう。あなたの人生は終わり、次の人生はないからである。
「私」が分割され、1日限りの「私」になったとき、あなたは、それがどんな1日であったとしても納得せざるを得ないということに気がつくだろう。今日あなたが「明日の私」のために成したことはなんだろう。もちろん、悔いが残る場合もあるだろうし、大きな成果を残せることもあるだろう。しかし、それがどんな状況であっても、それは終わるのである。
だから、分割された「私」の1日の終わりは「私」だけの世界である。心の問題と言っても良い。良いか悪いかは心が生み出すものだからだ。
しかし、次の朝、分割された「私」が始まったとき、「昨日の私」が残したもの、それが「悔い」であれ「成果」であれ、あなたが受け取るのはその「結果」だけである。それが消え去るという意味なのだ。そして、さらに次の「明日の私」に何が残せるかが重要なのである。
もし、あなたが大きな事を成そうと思っているなら、「明日の私」にそれを引き継ぐことである。大きな事を1日で成すことはできない。たとえ1日で成されたように見えても、それは巨大な連続性の中で成されたことなのだ。
あなたが何かをするのは「私のため」ではなく「明日の私のため」である。さらに言えば、その先の「大きな事を成している私のため」である。そのための数多くの「私」たちのバトンリレーがあって初めて大きな事は成しえるのである。
そして、大きな事が成しえれば、それはおそらく人類の歴史にも引き継がれていくだろう。そこにいたるまでには、数え切れない人数の「私」とあなたの後援者が必要だ。そこには1日限りの「私」を全く越えたパワーが働いていることだろう。あなたは「明日の私」のために今を生きて、「今日の私」と共に消えていく。そして、次の日は別のあなたがその生活を受け継ぐのだ。それがあなたという歴史、人類という歴史を作っていくのである。
むかし、養老孟子氏の講演会に行ったことがある。そこで彼は、脳というものは「同じ」という機能を持つと言った。
なぜ、お店で買い物が出来るのか。それは商品とお金(ただの紙切れ)が脳の中で「同じ」価値を持つからだ。
本来、同じでないものを「同じ」とみなすこと、それが脳の機能である。
例えば、昨日の私と今日の私が「同じ」と認識するのも脳の働きだ。
もちろん今日の私は、髪が少し伸びていたり、代謝によって構成成分が変わっているだろう。しかし、それを「同じ」と捉えるのが脳の働きというわけだ。
さらに言えば、「同じ」ということを維持しようとする力も働く、これは自己恒常性維持機能(ホメオスタシス)と呼ばれている。
この力によって、私たちは常に「同じ」私でいつづけることが出来るわけだ。
■「私」という弊害
しかし、その私にも終わりは来る。死である。私たちは死について自覚することは出来ない。死んだら意識は無いからである。
そこで私たちは、死そのものではなく、死という概念と対峙している。
私たちの命は限られており、その先には「私」の死というものがある。「私」という限りある連続性は、より巨大な「社会」とか「生命」の連続性に包含されていく。
その巨大な連続性に引き継がれていくものは思想だとか、知識だとか、命そのものであり、個としての「私」ではない。
そこで、生きているうちに「私」というものから何かを成したいと考えるのは自然な事である。「私」とその死というものが、限りある「私」が成すべきことを教えてくれるのだ。
だが一方で、「私」というものは怠惰を生み出す原因にもなる。例を2つほど挙げよう。
まず、死という実感が薄いことである。命に限りがあるといっても、ほとんどの人間は病気にでもならない限り自分が死ぬという実感は無い。そこで「私」の長い人生の中の1日ぐらいサボっても構わないと考える。「私」がサボろうが働こうが損するのも得するのも「私」であるから自己責任で一行に構わない。そう考えると、「私」は怠惰の温床になる。
もう1つは、「私」より「誰か」の方が圧倒的に多いということである。「私」がやらなくても、そのうち「誰か」がやってくれると考えれば、「私」が成す意味は無くなる。ここでも「私」は怠惰の温床になる。これは「一身独立して、一国独立す」と言った福澤諭吉先生の憂いた状況でもある。
■私は1人か?
このような「私」の弊害から脱出し、「私」の心の声を聞き、情熱を燃やし続けるにはどうすればよいだろうか。
それは、「私」をもっと限りあるものにすることである。
先の講演の中で、「私」というものが実は不連続であるという話があった。「私」というものは連続ではなく、毎日途切れているというのだ。なぜだか、お分かりになるだろうか?
笑い話のようだが、夜寝るからである。寝ているときは意識が失われ「私」というものはない。だから、「私」というものは毎日途切れている。途切れているにも関わらず、朝目覚めたときに今日の「私」は昨日と同じ「私」だと思って疑わない。起きたとたんに「私は誰だろう」という人がいたら、手間がかかってしょうがない。
しかしその当たり前であることを、よく考えて欲しい。今日の「私」は本当に昨日の「私」と同じ「私」だろうか?
昨日の「私」を今日の「私」と別の人だと考える。それが「私」をもっと限りのあるものにする方法である。
記憶があるじゃないかと言う人もいるだろうが、記憶も含め、生活品や何から何までを引き継いで、今日という日にあなたは「新しく」生まれてくるのだ。
「私」は色んなものを引き継いではいるが、今日の「私」に残された時間は今日という1日だけである。「私」の役割はその限られた時間を使って、その生活を「明日の私」に引き継ぐことだ。
今までの「私のため」という行為は、「私のため」と「明日の私のため」という2つの行為に分かれる。本当に「誰のため」でもない刹那的な「今日の私」の為の自己満足的な行為と、連綿と続く「私」という巨大な歴史を紡ぐための「明日の私のため」の行為である。
「私」の行為の中で、「明日の私」に受け継がれていくものは、「明日の私」にとって嬉しいことだけであり、そうでないものはその日のうちに消えていく。「今日の私」のために生きるか、「明日の私」のために生きるか、それはあなた次第である。
もし、あなたが何か目標を持っており、「明日の私」のために生きようとするなら、この考え方はあなたを大きくサポートする。
この考えに立ったとき、これからあなたをサポートするのは、あなたという「歴史」を織り成してきた「昨日の私」達の成果である。あなたは1人ではなく、1年で365人のあなたが誕生し消えていく、彼らは皆、あなたが今日生きるために生きてきたのである。そして、今日の私は、そう望めば、明日の私達のために生きることができる。
このように作られる「歴史」プロセスはまさに、「私」と「人類」のプロセスと同じである。「私」という連続性はより細かな「私」の連続性から生成され、「人類」という連続性もまたより細かな個人という連続性から生成される。
あなたの中に、その連続性の階層を持つことが、他の「誰か」ではなく今日の「私」に意味を持たせることになる。
■明日の私のために
あなたは、ついてない日や、うまくいかない日があれば「今日はついてない。明日頑張ろう」と言うかもしれない。しかし、人生の最後を迎えたそのときに、「今回の人生はついてなかった。また次の人生で頑張ろう」などとは決して言わないだろう。あなたの人生は終わり、次の人生はないからである。
「私」が分割され、1日限りの「私」になったとき、あなたは、それがどんな1日であったとしても納得せざるを得ないということに気がつくだろう。今日あなたが「明日の私」のために成したことはなんだろう。もちろん、悔いが残る場合もあるだろうし、大きな成果を残せることもあるだろう。しかし、それがどんな状況であっても、それは終わるのである。
だから、分割された「私」の1日の終わりは「私」だけの世界である。心の問題と言っても良い。良いか悪いかは心が生み出すものだからだ。
しかし、次の朝、分割された「私」が始まったとき、「昨日の私」が残したもの、それが「悔い」であれ「成果」であれ、あなたが受け取るのはその「結果」だけである。それが消え去るという意味なのだ。そして、さらに次の「明日の私」に何が残せるかが重要なのである。
もし、あなたが大きな事を成そうと思っているなら、「明日の私」にそれを引き継ぐことである。大きな事を1日で成すことはできない。たとえ1日で成されたように見えても、それは巨大な連続性の中で成されたことなのだ。
あなたが何かをするのは「私のため」ではなく「明日の私のため」である。さらに言えば、その先の「大きな事を成している私のため」である。そのための数多くの「私」たちのバトンリレーがあって初めて大きな事は成しえるのである。
そして、大きな事が成しえれば、それはおそらく人類の歴史にも引き継がれていくだろう。そこにいたるまでには、数え切れない人数の「私」とあなたの後援者が必要だ。そこには1日限りの「私」を全く越えたパワーが働いていることだろう。あなたは「明日の私」のために今を生きて、「今日の私」と共に消えていく。そして、次の日は別のあなたがその生活を受け継ぐのだ。それがあなたという歴史、人類という歴史を作っていくのである。
2011年9月21日水曜日
【ストーリー解析】コクリコ坂から
コクリコ坂を観てきた。ストーリー解析をしつつ、レビューをする。
以下はすべてネタバレなので、まだ観てない人は是非観てください。
コクリコ坂の基本情報はwikipediaで。→コクリコ坂
■声優情報
松崎海 - 長澤まさみ
風間俊 - 岡田准一
水沼史郎(生徒会長) - 風間俊介(ジャニーズJr.)
伊達男の生徒会長はジャニーズJr.。サブキャラクターだがキャラが立っていた。
■ストーリー解析
メインドライバーは
1.海と俊の恋が障害を越えて実る(L-F-L)
2.文化部部室塔「カルチェラタン」の取り壊しを阻止する(E-G)
の2つ。そこで主要人物はこれらの主体者、松崎海、風間俊、水沼史郎である。理事長もドライバー上は主要人物であるが、非常に脇役的扱いを受けている。
終始2つのドライバーが平行して進行し、中盤からは2でストーリーがドライブされていくが、視聴者としては、1が気になってしょうがないと言う感じ。掃除で盛り上がる中、寂しげな海の描写などもあり、2の中にあっても絶えず1のドライバーが強調されている。ドライバーの配分は非常にバランスが良いが、内容の点では1と2はほぼ分離している。
それは2のドライバーが原作には無く、映画で付け加えられたものということとも関係していると思われる。2は、1ほど視聴者の関心を引くものではないが、1の恋愛だけでは絵的にも内容的にも映画として成り立たないという判断があったのではないだろうか。それに2の部分が妙に駿っぽい気がするのは気のせいだろうか?2あっての映画「コクリコ坂から」と言えそうだ。
さらに1の障害として海と俊の兄妹疑惑があり、それの提示と解決がサブドライバーとして存在する。
3.海と俊の兄妹疑惑が解消される(E-G)
このドライバーでは、母松崎花、船長小野寺善雄などが脇役として登場する。Gドライバーの主体は難しいが、海と風間明雄(俊の父)であろうか。海と俊が2人でいるシーンは兄妹疑惑の渦中は兄妹に、それ以外は恋人同士に見えるから不思議である。
イベントを整理すると次のような構成になっている。
L 海と俊出会う
|
E ★「カルチェラタン」取り壊しの危機
|
L 海と俊仲良くなる
|
E 海と俊の兄妹疑惑
|
G ★「カルチェラタン」大掃除
|
F 海、兄妹疑惑にショックを受ける
|
G ★理事長に直談判
|
L 海告白
|
G 母によって出生の秘密の一部が解消される
|
G ★理事長視察「カルチェラタン」存続決定
|
G(L)出生の秘密明らかになり海と俊の障害消滅
|
ハッピーエンド
★マークは「カルチェラタン」サイドのイベント
マクロに見るとおよそ
L-E(F)-L-G(L) 海と俊の恋愛
E--G--G 「カルチェラタン」
という構成である。
■総評
海が、「実は俊とは兄妹である」という決定的な恋の破綻に晒されながらも、それを乗り越えていく姿がこの話の見所と言える。また、旗にこめられた父への想い、海の心のよりどころの母など、父母が非常に美しく描かれている。海の告白後は、憑き物が落ちるように2人は兄妹では無いことが判明し、理事長も全く話をこじらせることなく取り壊しは中止されるという、なんともラッキーなストーリー展開になる。感動するというよりは思わず良かったねと声をかけたくなる終わり方で、全く嫌味が無い。これを見て、真っ向から批判できる人は相当な変人だろう。
映画「コクリコ坂から」は日常を描きながらも、展開されるのは現代人には全くの非日常的世界であり、ゆらゆらとゆりかごの中に入れられた大人(視聴者)が、夢を夢と知らずに幸せそうにうたた寝をしている、そんな映画であった。
以下はすべてネタバレなので、まだ観てない人は是非観てください。
コクリコ坂の基本情報はwikipediaで。→コクリコ坂
■声優情報
松崎海 - 長澤まさみ
風間俊 - 岡田准一
水沼史郎(生徒会長) - 風間俊介(ジャニーズJr.)
伊達男の生徒会長はジャニーズJr.。サブキャラクターだがキャラが立っていた。
■ストーリー解析
メインドライバーは
1.海と俊の恋が障害を越えて実る(L-F-L)
2.文化部部室塔「カルチェラタン」の取り壊しを阻止する(E-G)
の2つ。そこで主要人物はこれらの主体者、松崎海、風間俊、水沼史郎である。理事長もドライバー上は主要人物であるが、非常に脇役的扱いを受けている。
終始2つのドライバーが平行して進行し、中盤からは2でストーリーがドライブされていくが、視聴者としては、1が気になってしょうがないと言う感じ。掃除で盛り上がる中、寂しげな海の描写などもあり、2の中にあっても絶えず1のドライバーが強調されている。ドライバーの配分は非常にバランスが良いが、内容の点では1と2はほぼ分離している。
それは2のドライバーが原作には無く、映画で付け加えられたものということとも関係していると思われる。2は、1ほど視聴者の関心を引くものではないが、1の恋愛だけでは絵的にも内容的にも映画として成り立たないという判断があったのではないだろうか。それに2の部分が妙に駿っぽい気がするのは気のせいだろうか?2あっての映画「コクリコ坂から」と言えそうだ。
さらに1の障害として海と俊の兄妹疑惑があり、それの提示と解決がサブドライバーとして存在する。
3.海と俊の兄妹疑惑が解消される(E-G)
このドライバーでは、母松崎花、船長小野寺善雄などが脇役として登場する。Gドライバーの主体は難しいが、海と風間明雄(俊の父)であろうか。海と俊が2人でいるシーンは兄妹疑惑の渦中は兄妹に、それ以外は恋人同士に見えるから不思議である。
イベントを整理すると次のような構成になっている。
L 海と俊出会う
|
E ★「カルチェラタン」取り壊しの危機
|
L 海と俊仲良くなる
|
E 海と俊の兄妹疑惑
|
G ★「カルチェラタン」大掃除
|
F 海、兄妹疑惑にショックを受ける
|
G ★理事長に直談判
|
L 海告白
|
G 母によって出生の秘密の一部が解消される
|
G ★理事長視察「カルチェラタン」存続決定
|
G(L)出生の秘密明らかになり海と俊の障害消滅
|
ハッピーエンド
★マークは「カルチェラタン」サイドのイベント
マクロに見るとおよそ
L-E(F)-L-G(L) 海と俊の恋愛
E--G--G 「カルチェラタン」
という構成である。
■総評
海が、「実は俊とは兄妹である」という決定的な恋の破綻に晒されながらも、それを乗り越えていく姿がこの話の見所と言える。また、旗にこめられた父への想い、海の心のよりどころの母など、父母が非常に美しく描かれている。海の告白後は、憑き物が落ちるように2人は兄妹では無いことが判明し、理事長も全く話をこじらせることなく取り壊しは中止されるという、なんともラッキーなストーリー展開になる。感動するというよりは思わず良かったねと声をかけたくなる終わり方で、全く嫌味が無い。これを見て、真っ向から批判できる人は相当な変人だろう。
映画「コクリコ坂から」は日常を描きながらも、展開されるのは現代人には全くの非日常的世界であり、ゆらゆらとゆりかごの中に入れられた大人(視聴者)が、夢を夢と知らずに幸せそうにうたた寝をしている、そんな映画であった。
2011年9月20日火曜日
【創作理論】ストーリー作品の作り方①

ここでは、ストーリー作品の創作法について解説する。
ストーリー作品とは、小説、映画、漫画など、ストーリーを伴う創作物のことである。
ストーリー作品を作るクリエイターの悩み事は、「着想はあるが、内容が具体的に決まらない」「何となくイメージはあるが、ストーリーが完成しない」といったものが多いのではないだろうか。ここでは、それらを解決する2つの方法論、
①着想を広げる方法論、イメージエンジン
②ストーリーの構造を決定する方法論、ドライバー理論
について解説する。イメージエンジンについては、ストーリー作品以外にも応用可能な部分があるので、ストーリー作品以外のクリエイターにも読んでいただきたい。
0.創作の手順
ストーリー作品の創作には主に次のような段階がある。
1. 着想(企画、タイトル、ジャンルなど)
2. シーン、設定、登場人物(イメージボード、アイデアなど)
3. 大まかなストーリー(あらすじ、プロットなど)
4. ストーリーと演出(脚本、ネーム、コンテなど)
5. 仕上げ
これらの段階を止まることなく、自由に闊歩することができれば、あなたの創作ペースは格段に上がるだろう。多作であるということはクリエイターのとっては強みであり、読者、視聴者にとっても望ましいことである。
1.イメージエンジン
まず、あなたには何らかの非常にわずかな着想があると仮定しよう。それは、タイトルでもいいし、コンセプトや、キャラクターでもいい。それは全くの思いつきや依頼であって、それをストーリー構築法の中では直観と意図(Intution & Intension)と呼んだ。
さて、この着想をどうやって拡張するかというのが、創作の初期段階における主要問題である。
脳内のネットワークで考えると、着想というのはネットワーク上の1点であり、我々の目的は、その脳内ネットワークの中から重要な組み合わせを選び出すことである。
これを、もし計算機にやらせるのであれば、それは近似解発見のアルゴリズムや、人工知能の問題になるだろうが、私たちが必要としているのはあくまで人間が思考する場合の方法論であり、計算機をうまく働かせる方法論ではない。
さらに、私たちが計算機と違うのは、私たちにはモチベーションが必要だということだ。ある人はその人自身が重要だと思うことしかやりたくないし、その行為自体が楽しくなければパフォーマンスは続かない。
そこで、私たちがある着想を拡張する際には、その拡張がその人自身にとって重要であり、臨場感のあるものである必要がある。
では、あなたにとって重要で、臨場感のあるものとは何だろうか。すなわちそれはあなたの情動記憶に基づくものである。
(情動記憶とは、何らかの情動と関連付けられた記憶のことである。我々の脳にはRASと呼ばれる情報のフィルター機能があり、そのフィルターは情動記憶によって調節されていると言われている。我々が重要だと感じるものと、情動記憶の関係は深い。また最新の認知科学によれば我々の認識は記憶によって成り立っており、豊かな記憶に基づくものほど、臨場感は高い)
イメージエンジンの方法論は、この情動に注目し、情動記憶のネットワークを使って、着想を拡張するものである。
では具体的に、その方法論について述べていこう。
まず、着想などあるイメージに対してあなたが感じる情動に注目しよう。
元になるものは、言葉でもいいし、絵でも、頭の中のイメージでも、アイデアでも構わない。拡張したい対象について、それを見たり、想起した時に感じる情動に注目する。感じる情動は、「かわいい」とか「つまらない」とか「ダサい」、「この部分が気に食わない」など何でも良い。情動ではないが、「何も感じない」というのでも構わない。
これらの情動はあなたの情動記憶を介し、あなたがイメージに対して無意識に想起させる情動である。(「何も感じない」であれば、あなたにとって重要ではないということだ)
このような、イメージに対してそれを見た人が感じる情動の列をエモーショナルライン(Emotional line)と呼ぶことにする。
エモーショナルラインは、そこに描かれているキャラクターがどう思っているかではなく、あるイメージを見た人がどう感じるかであり、あくまで作品世界の外側の観測者がどう感じるかというものである。エモーショナルラインは当然、見る人によって異なる。
着想を拡張するには、これらのイメージと情動について、「そのイメージがどう変われば、どう感じるか?」ということに注目する。そうすると、別のイメージと共に、それに付随する情動が現れる。
例えば、「ウェイトレスが水を持ってくる」シーンを考えよう。さて、このイメージについて何か感じるだろうか。ここでは「何も感じない」からスタートしてみよう。例えば、
「キンキンに冷えていたら」→「おいしそう!」
「ウェイトレスがごつかったら」→「お前女じゃねえだろ!」
「いきなり水をぶっ掛けられたら」→「びびる」
「すっころぶ」→「ぱ、パンツが・・・」
「注文した旦那がすごいかっこ良かったら」→「かっこいい!」
などの拡張が出来るだろう。ポイントは後半の情動である。作者のエモーショナルラインは「何も感じない」から実に様々なものに変わる。ここで情動が無ければ、拡張するモチベーションは生まれない。「ウェイトレスが水を持ってくる」シーンを見たときに、「水がオレンジジュースだったら」とか「ウェイトレスがウェイターだったら」とか「壁の色がベージュだったら」とか面白くも何ともないシチュエーションを想像する気になるだろうか?また、そのアイデアに実用性があるだろうか?
ここでは、シーンについて考えたが、イメージ自体はタイトルや主人公、作品世界の概念など何でもよい。
これが着想の拡張である。重要なのは、ある着想やイメージについて、出来るだけエモーショナルラインを意識し情動的に考えることである。
このように、情動を用いる利点は他にもある。強い情動を感じることは脳内にドーパミンを放出させる。(特にうれしい、楽しい、気持ちいいなど正の情動の方が多く出るとされている。)
創作におけるイメージの操作には高い抽象思考が必要であり、それを促すには前頭前野にドーパミンを流すことが重要である。ドーパミンは快楽物質であると同時に
思考を促す脳内物質でもあり、抽象思考することによっても分泌される。このようなドーパミンによるプライミングでさらに、前頭前野は活性化されイメージ操作がし易くなる。
このような、イメージ→情動→(情動記憶)→別のイメージ→別の情動(+ドーパミン)の循環を回すことによって創作におけるイメージをどんどん作り出すことをイメージエンジン(Image Engine)と呼ぶことにする。
拡張したい着想について、このイメージエンジンを使うことによって、作品世界についてのアイデア、シーン、設定、キャラクターが構築される。
着想が十分に拡張され、作品世界がある程度固まってきたら、次は大まかなストーリーを決定する工程へと移る。
[イメージエンジンの使い方まとめ]
①リラックスする。
②タイトルなどのキーワード、資料などからイメージを想起する
③そのイメージについて、自分が感じる情動に注目する
④そのイメージと情動について、それがどうなったらどう感じるかに注目する
⑤新たに得られたイメージについて③、④を繰り返す。
2.ビジョン
イメージエンジンによって着想を拡張していくと、いくつかの新しいイメージが得られ、次第に作品世界の構成要素が増えていく。
ある作品の構成要素には、大まかにシーン(scene)、設定(setting)、登場人物(character)などがある。これらをまとめてビジョン(Visions)と呼ぶことにしよう。
イメージエンジンを動かして得られるのは基本的に視覚的イメージであり、シーンとの結びつきが一番強い。イメージエンジンによってある程度のシーンが得られると、それに伴い設定や登場人物が決まってくる。
これらの構成要素が増えてくると次第に、構成要素に還元できない作品世界の全体イメージ(ゲシュタルト)が出来てくる。トーンと言っても良い。この全体イメージが出来上がったら、次の大まかなストーリーの決定に移る。だが、その前に少し補足をしておこう。
もともと、設定などは情動を伴いにくい。例えばある国の歴史、産業、キャラクターの住所や年齢をどうしても決めたい場合、それに情動を感じられるだろうか。
もし、このような情動を伴いにくいビジョンを拡張する必要がある場合には、それらを視覚イメージ化することが望ましい。それが提示されたときにどう感じるかに注目し、エモーショナルラインを形成する。かつて高い文明があった国とか、産業は綿織物とか言われても、普通は何も感じないだろう。
そこで例えば、どのような遺産や地形が残っているとどう感じるか(壮大だ!とか焼け野原だな…とか)、どのような生産現場だとどう感じるか(活気にあふれている!とかのどかだなあ…とか)、どんなところに住んでいるとどう感じるか(金持ちすぎる!とか貧乏だなあ(泣)とか)、何歳だと言われるとどう感じるか(若い!とか詐欺!とか)といった具合に情動を付加していく。
このように、設定に関しても視覚イメージ化することでイメージエンジンを使うことが容易になる。ただし、すべての構成要素がイメージエンジンによって構成されるわけではなく、辻褄合わせに発生する設定などもある。特に設定には辻褄合わせが多く含まれる。
【創作理論】ストーリー作品の作り方②につづく
【創作理論】ストーリー作品の作り方②
【創作理論】ストーリー作品の作り方①の続き。
大まかなストーリーを決定するドライバー理論について説明する。
-------------------------------------------
3.ドライバー理論
ある程度、ビジョンが形成され、作品の全体イメージが出来ていたら、大まかなストーリーを決定する。
ビジョンからストーリーを作るのが、創作中盤においての山場となる。
ストーリーに十分な構造を持たせる為には、全体像から各シーンが整合的に作られる必要がある。もし、ストーリーの全体像が分からなければ、各シーンの演出方針や、適当な描写の長さが決まらず、メリハリのあるストーリー、演出にはならないし、後半に生きてくる伏線を前半に入れることが出来ない。
ストーリーはビジョンに比べて、理性的なものであり、時間、空間、因果の整合性を持ち、さらに起承転結などの構造がなければ面白くない。
これらを整合的に作るための方法論が、ドライバー理論である。
簡単に言うとドライバーは、その話が「どんなストーリーなのか」を端的に表すものである。例えば、「アンパンマンがバイキンマンを倒す」とか、「神隠しにあった女の子が両親を救う」とかである。
補足---------------------------------------------
ドライバーとは、ビジョン(シーン、設定、登場人物)が持つストーリーを展開させる推進力を抽象化した概念である。このような推進力を持つ対象を、それがドライバーを持つ、あるいはドライバーであると言う。
ドライバーは次の5種類に分類され、
・悪(E,evil driver)と善(G,good driver)
・愛(夢)(L,love driver)と失敗(F,fail driver)
・提示(P,presentation driver)
それらの組み合わせによって主に
・悪が善によって倒される。または倒されようとする。(E-G)
・愛が受け入れられない。夢が叶わない。願望が失敗する。(L-F)
・愛が受け入れられる。または夢が叶う。愛または夢を発見する。(L)
・設定を説明する。(P)
といった話を展開する。
--------------------------------------------------
ドライバー理論についての詳細は、前記事ドライバー理論を見て欲しい。ここでは、その細部は説明せずに、本題に入ろうと思う。
あなたが、ある作品について、あるビジョンを持っているとき、あなたの想像力をさらに掻き立て、ストーリーを完結させるためには、分析とは別の特殊なストーリーを完結させうる構造、つまりドライバーを見つける必要がある。
あなたがもし、ストーリーを完結することが出来ないとすれば、それはドライバーが不明であるか、不満である可能性が高い。
創作において重要なことは、誰がドライバーで、そのドライバータイプが何であるかを分析することではなく、あなたが描くのに足りうると思うドライバーの中身は何でそれをつかさどる登場人物は誰かということだ。
そのようなドライバーを見つけるには、やはり、イメージエンジンを使う。
まずは、ビジョンの中から、今あるドライバーを探そう。分析的に、このストーリーは何の話なのか?を考える。
ここで、出てくるのは「分析的」つまり、固定概念や、よくあるパターンの中から選び出された、創造性の低い、つまらないものである可能性が高い。例えば「AがBを倒す」とか「AとBがくっつく」かもしれない。
次に、イメージエンジンの手順に従い、それに伴う情動に注目する。それは「腑に落ちない」とか「ありがち過ぎる」とか「つまらない」、あるいは「何も感じない」かもしれない。
そして、次に、それがどう変わったら、どう感じるかを想像する。目の前にあるドライバーが別のドライバーに変わったら、あなたはどう感じるだろうか。
これは、読者が持っている先入観に対して、別のストーリーを提示することにも対応する。意外な展開とは意外なドライバーの提示なのである。
さらに、新しく出てきたドライバーについて、それがどう変わったらどう感じるかを想像し、新たなドライバーを探す。このイメージエンジンのプロセスを通じて、我々は作るのに足りうるドライバーを発見する。
このようなプロセスを通して、作品には複数のドライバーが実装され多面的な側面が感じられるようになる。そのようなドライバーの中で中心に据えるのにふさわしいドライバーがそのストーリーの主要ドライバーである。
十分なドライバーを見つけるコツは、得られているドライバーに不満を持ち、ドライバーについて妥協しないことである。
このドライバーが出来た瞬間にストーリーはほぼ完成すると言っても良い。すべてのシーンについてどう持っていけばいいかが明確になるからである。
一般に知られている作品の製作プロセスは不明だが、推理ものや勧善懲悪ものを除けば、多くの作品でメインストーリーは予測しにくい意外なドライバーである。
例えば「トトロ」についての設定資料などを見ると、メイが行方不明になるというストーリー展開は後付けの可能性が高い。「トトロと仲良くなりました」では視聴者は拍子抜けしてしまうだろう。「トトロ」という必然性が無くとも「メイが行方不明になるがトトロが助けてくれて無事見つかる(E-G)」というドライバーが必要なのだ。
アニメ版の「時をかける少女」ではどうだろうか。主人公はタイムリープする能力を得てしまった少女だが、そのメインドライバーは「未来から来た少年とお別れする(L-F)」というものだ(それがきっかけでやることを見つけるのでLFLとも言える)。しかし、同時に「友人が電車事故に巻き込まれるのを阻止する(E-G)」や、「あの絵が見たいけど見れなかった(L-F)」、「好きな友達に告白したがスルーされる(L-F)」、「好きな先輩に思いを伝える(L)」などの別のドライバーも持つ。このように登場人物の様々なドライバーがストーリーを多面的で深いものにしている。きっと原作者はメインドライバーの切なさがメインに据えるのに足りうると判断したのだろう。
創作プロセスが分かっているので、依然書いた「マーメイ丼」を例に挙げると、初めのドライバーは「人魚の肉を食べようとする奴をマーメイ丼で倒す」であった。しかし、敵を倒すはありきたりだし、倒し方も腑に落ちない、感動も無い。そこで「マーメイ丼を通じて、家族の絆が強まり、お祭りも盛り上がる」というようなドライバーに変わった。しかし、これでも、まだ「マーメイ丼を通じて」の点がまったく不明である。そこで最終的には、メインドライバーは「マーメイ丼で友達を救う(E-G)」、サブドライバーは「王様がマーメイ丼を通じて昔のことを思い出す(L)」「マーメイドンでお祭りが盛り上がる(E-G)」というドライバーになった。敵となる王様達が単なる悪い奴ではなく、最後はみんなでお祭りというのが描くに足りうるドライバーになった理由だ。解析的にはE-L-G(L)-Gである。
注意すべきなのは、EGLFのドライバーの組み合わせにはオリジナリティの余地が無いと言うことだ。ドライバーを考える場合、それがどのドライバータイプに分類されるかではなく、「何が」ドライバーで、それをつかさどるキャラクターは誰なのかということだ。ドライバーの具体的部分に創造性は宿ることになる。
このような描くのに足りうると感じるドライバーが見つかれば、つぎは具体的にストーリーを書いて演出を決定していくことになる。この段階ではストーリーに関して悩むことは無いはずだ。もし、あるとすればドライバーを変更するかどうかだが、十分に満足のいくドライバーで始めたなら、どちらにせよいい結果になるだろう。
後は各媒体に応じた演出、仕上げが待っている。その技術は各媒体でかなり異なるが、ここでもやはりイメージエンジンを使っていけば、解決できるだろう。
オワリ
大まかなストーリーを決定するドライバー理論について説明する。
-------------------------------------------
3.ドライバー理論
ある程度、ビジョンが形成され、作品の全体イメージが出来ていたら、大まかなストーリーを決定する。
ビジョンからストーリーを作るのが、創作中盤においての山場となる。
ストーリーに十分な構造を持たせる為には、全体像から各シーンが整合的に作られる必要がある。もし、ストーリーの全体像が分からなければ、各シーンの演出方針や、適当な描写の長さが決まらず、メリハリのあるストーリー、演出にはならないし、後半に生きてくる伏線を前半に入れることが出来ない。
ストーリーはビジョンに比べて、理性的なものであり、時間、空間、因果の整合性を持ち、さらに起承転結などの構造がなければ面白くない。
これらを整合的に作るための方法論が、ドライバー理論である。
簡単に言うとドライバーは、その話が「どんなストーリーなのか」を端的に表すものである。例えば、「アンパンマンがバイキンマンを倒す」とか、「神隠しにあった女の子が両親を救う」とかである。
補足---------------------------------------------
ドライバーとは、ビジョン(シーン、設定、登場人物)が持つストーリーを展開させる推進力を抽象化した概念である。このような推進力を持つ対象を、それがドライバーを持つ、あるいはドライバーであると言う。
ドライバーは次の5種類に分類され、
・悪(E,evil driver)と善(G,good driver)
・愛(夢)(L,love driver)と失敗(F,fail driver)
・提示(P,presentation driver)
それらの組み合わせによって主に
・悪が善によって倒される。または倒されようとする。(E-G)
・愛が受け入れられない。夢が叶わない。願望が失敗する。(L-F)
・愛が受け入れられる。または夢が叶う。愛または夢を発見する。(L)
・設定を説明する。(P)
といった話を展開する。
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ドライバー理論についての詳細は、前記事ドライバー理論を見て欲しい。ここでは、その細部は説明せずに、本題に入ろうと思う。
あなたが、ある作品について、あるビジョンを持っているとき、あなたの想像力をさらに掻き立て、ストーリーを完結させるためには、分析とは別の特殊なストーリーを完結させうる構造、つまりドライバーを見つける必要がある。
あなたがもし、ストーリーを完結することが出来ないとすれば、それはドライバーが不明であるか、不満である可能性が高い。
創作において重要なことは、誰がドライバーで、そのドライバータイプが何であるかを分析することではなく、あなたが描くのに足りうると思うドライバーの中身は何でそれをつかさどる登場人物は誰かということだ。
そのようなドライバーを見つけるには、やはり、イメージエンジンを使う。
まずは、ビジョンの中から、今あるドライバーを探そう。分析的に、このストーリーは何の話なのか?を考える。
ここで、出てくるのは「分析的」つまり、固定概念や、よくあるパターンの中から選び出された、創造性の低い、つまらないものである可能性が高い。例えば「AがBを倒す」とか「AとBがくっつく」かもしれない。
次に、イメージエンジンの手順に従い、それに伴う情動に注目する。それは「腑に落ちない」とか「ありがち過ぎる」とか「つまらない」、あるいは「何も感じない」かもしれない。
そして、次に、それがどう変わったら、どう感じるかを想像する。目の前にあるドライバーが別のドライバーに変わったら、あなたはどう感じるだろうか。
これは、読者が持っている先入観に対して、別のストーリーを提示することにも対応する。意外な展開とは意外なドライバーの提示なのである。
さらに、新しく出てきたドライバーについて、それがどう変わったらどう感じるかを想像し、新たなドライバーを探す。このイメージエンジンのプロセスを通じて、我々は作るのに足りうるドライバーを発見する。
このようなプロセスを通して、作品には複数のドライバーが実装され多面的な側面が感じられるようになる。そのようなドライバーの中で中心に据えるのにふさわしいドライバーがそのストーリーの主要ドライバーである。
十分なドライバーを見つけるコツは、得られているドライバーに不満を持ち、ドライバーについて妥協しないことである。
このドライバーが出来た瞬間にストーリーはほぼ完成すると言っても良い。すべてのシーンについてどう持っていけばいいかが明確になるからである。
一般に知られている作品の製作プロセスは不明だが、推理ものや勧善懲悪ものを除けば、多くの作品でメインストーリーは予測しにくい意外なドライバーである。
例えば「トトロ」についての設定資料などを見ると、メイが行方不明になるというストーリー展開は後付けの可能性が高い。「トトロと仲良くなりました」では視聴者は拍子抜けしてしまうだろう。「トトロ」という必然性が無くとも「メイが行方不明になるがトトロが助けてくれて無事見つかる(E-G)」というドライバーが必要なのだ。
アニメ版の「時をかける少女」ではどうだろうか。主人公はタイムリープする能力を得てしまった少女だが、そのメインドライバーは「未来から来た少年とお別れする(L-F)」というものだ(それがきっかけでやることを見つけるのでLFLとも言える)。しかし、同時に「友人が電車事故に巻き込まれるのを阻止する(E-G)」や、「あの絵が見たいけど見れなかった(L-F)」、「好きな友達に告白したがスルーされる(L-F)」、「好きな先輩に思いを伝える(L)」などの別のドライバーも持つ。このように登場人物の様々なドライバーがストーリーを多面的で深いものにしている。きっと原作者はメインドライバーの切なさがメインに据えるのに足りうると判断したのだろう。
創作プロセスが分かっているので、依然書いた「マーメイ丼」を例に挙げると、初めのドライバーは「人魚の肉を食べようとする奴をマーメイ丼で倒す」であった。しかし、敵を倒すはありきたりだし、倒し方も腑に落ちない、感動も無い。そこで「マーメイ丼を通じて、家族の絆が強まり、お祭りも盛り上がる」というようなドライバーに変わった。しかし、これでも、まだ「マーメイ丼を通じて」の点がまったく不明である。そこで最終的には、メインドライバーは「マーメイ丼で友達を救う(E-G)」、サブドライバーは「王様がマーメイ丼を通じて昔のことを思い出す(L)」「マーメイドンでお祭りが盛り上がる(E-G)」というドライバーになった。敵となる王様達が単なる悪い奴ではなく、最後はみんなでお祭りというのが描くに足りうるドライバーになった理由だ。解析的にはE-L-G(L)-Gである。
注意すべきなのは、EGLFのドライバーの組み合わせにはオリジナリティの余地が無いと言うことだ。ドライバーを考える場合、それがどのドライバータイプに分類されるかではなく、「何が」ドライバーで、それをつかさどるキャラクターは誰なのかということだ。ドライバーの具体的部分に創造性は宿ることになる。
このような描くのに足りうると感じるドライバーが見つかれば、つぎは具体的にストーリーを書いて演出を決定していくことになる。この段階ではストーリーに関して悩むことは無いはずだ。もし、あるとすればドライバーを変更するかどうかだが、十分に満足のいくドライバーで始めたなら、どちらにせよいい結果になるだろう。
後は各媒体に応じた演出、仕上げが待っている。その技術は各媒体でかなり異なるが、ここでもやはりイメージエンジンを使っていけば、解決できるだろう。
オワリ
2011年9月19日月曜日
【ストーリー解析入門】ドライバー理論
ここでは、ストーリーの構造解析に用いる概念、ドライバー(driver)の説明をする。
ドライバーの目的は、ストーリーグラフのようなストーリーにおける時空的構造ではなく、ストーリーの要約としての意味を分析することである。ゆえに、ドライバーは、そのストーリーが「どんなストーリー」で「登場人物の役割は何なのか」を明確にする。
1.ドライバーの定義と種類
定義:
ドライバーとは、ビジョン(シーン、設定、登場人物)が持つストーリーを展開させる推進力を抽象化した概念である。このような推進力を持つ対象を、それがドライバーを持つ、あるいはドライバーであると言うことにする。
ドライバーはストーリーの起点や終点を決定し、ストーリーの主要部分を構築するためストーリー構築においても非常に重要な概念である。ドライバーにはその性質から次の5つの種類がある。
悪(evil driver)と善(good driver)
愛または夢(love driver)と失敗(fail driver)
提示(presentation driver)
これらのドライバーの頭文字をとってそれぞれE,G,L,F,Pで表わす。ストーリーはこれらのドライバーの組み合わせによって構成される。(この章では分かりやすくするためにあえて、悪や愛といった語を単独で用いたが指示する内容を明確にするために英語で~driverと呼ぶことを推奨する。)
原理1:
ある1つのストーリーは5つのドライバー(悪、善、愛または夢、失敗、提示)の組み合わせに分類される。
次の節でこれらの性質を細かく説明する。
2. 悪(evil driver)と善(good driver)
悪、または悪ドライバー(E, evil driver)とは、調和を乱すこと、いけないこと、迷惑なこと、企み、解決すべき問題等である。Eは人間であるとは限らず、抽象的な何らかの問題、災害などの場合もある。これらは善なる存在によって打ち倒される(あるいは、打ち倒されようとする)。これを善、または善ドライバー(G, good driver)と呼ぶ。善という語を用いたが、Gは単にEを終わらせる存在であり、厳密にはそれが道徳的かどうかには関係が無い。
Gはその性質からE無しに存在することはできない。また、ストーリーは普通Eによって始められGによって終わる。つまり倒される。
Gが敗れるか、現れずEによってストーリーが終わるとき、それはバッドエンドとなる。
3. 愛または夢(love driver)と失敗(fail driver)
愛または夢、あるいは愛ドライバー(L, love driver)とは、愛または夢である。広義には、何かを願うことである。愛と夢のドライバーとしての性質は基本的に同じであり、それらを区別することにはあまり意味が無い。そのため2つは同じドライバーで表すことにする。愛または夢は成就、または失敗によって終わる。その失敗を導くのが失敗、または失敗ドライバー(F, fail driver)である。性質上、FはLなしには存在しない。また、愛または夢は、その発見によって終わるということも出来る。つまりLはドライバーとして単独で存在しうる。
普通、Lで終わることが望まれるという点で、LとFの関係は、EとGの関係とは異なる。
普通、物語はLで終わりハッピーエンドとなるが、Fで終わる場合もある。
特にギャグ作品ではFで終わる場合が多い。
4. 提示(presentation driver)
提示、または提示ドライバー(P, presentation driver)とは、作品の設定(setting)について説明するドライバーである。これは単独で存在し、読者(視聴者)の知らない設定ごとにストーリーに埋め込まれる。PにはG、L、Fのようにストーリーを直接終わらせる力は無く、エピローグという形で最後に挿入されることはあっても、それがストーリーの根幹を成すことは無い。
PはE-G、L-F、Lなどによって置き換えることが出来る。これはそれらのエピソードもまた設定を説明することが出来るからである。
主要ストーリーではない、部分的なE-G、L-F、LなどはPと読むことが出来る。つまりそれはそのE-G、L-F、Lを別のドライバーで置き換えてもストーリーを崩さないということを意味している。
5. ドライバーの性質による分類
5つのドライバーの性質をまとめると次のようになる。
性質による分類:
開始的ドライバー・・・E、L
完結的ドライバー・・・G、L、F
単独的ドライバー・・・P、L
ドライバーの組み合わせ:
E-G:悪が善によって倒される。または倒されようとする。
L-F:愛が受け入れられない。夢が叶わない。願望が失敗する。
L:愛が受け入れられる。または夢が叶う。愛または夢を発見する。
P:設定を説明する。
原理2:
ストーリーはEまたはLによって始まり、普通、EはGによって、LはLまたはFによって終わる。
6. 登場人物(character)の行動領域
ストーリーを展開する上で重要となる登場人物をドライバーを用いて次のように分類できる。(登場人物だけとは限らず、事象なども同様に分類できる。)
第1領域・・・GおよびLの主体者
第2領域・・・Lの対象者およびEの主体者
第3領域・・・上記以外の登場人物
一般にはある作品において、ある登場人物が恒久的に同じドライバーを持つとはいえない。ある登場人物の行動領域もドライバーに伴い変更される。
第1、第2領域の登場人物はストーリーを始める、または終わらせることが出来る。その点において主要登場人物(main character)であると言える。対して第3領域の登場人物は脇役(supporting character)である。第3領域の登場人物はドライバーを促す形でストーリーに登場する。
ウラジーミル・プロップの「昔話の形態学」の分類で言えば
第1領域・・・主人公
第2領域・・・王女(探し求められる者)、敵対者、偽主人公
第3領域・・・贈与者、助力者、王女の父、派遣者
にあたる。
原理3:
ストーリーの主要部分は主要人物のドライバーによって決定される。
7. ドライバーを用いたストーリー解析
ストーリーはドライバーを用いて簡潔に書くことが出来る。不要ならば脇役は省略しても構わない。
他にも時空と因果についての解析手段にストーリーグラフがある。
例1 桃太郎
ストーリーライン
P-P(E)-P-G
主要ドライバー:
桃太郎が鬼をこらしめる(E-G)
鬼は直接登場するわけではないが、打倒される存在として登場するP(E)。
例2 浦島太郎
ストーリーライン
P(EG)-L-F
主要ドライバー:
浦島が悪がきから亀を救う P(E-G)
(これは浦島が竜宮城へ行く理由を説明したものである)
浦島が望郷の思いから、帰郷するがそれは叶わない(L-F)
ドライバーの目的は、ストーリーグラフのようなストーリーにおける時空的構造ではなく、ストーリーの要約としての意味を分析することである。ゆえに、ドライバーは、そのストーリーが「どんなストーリー」で「登場人物の役割は何なのか」を明確にする。
1.ドライバーの定義と種類
定義:
ドライバーとは、ビジョン(シーン、設定、登場人物)が持つストーリーを展開させる推進力を抽象化した概念である。このような推進力を持つ対象を、それがドライバーを持つ、あるいはドライバーであると言うことにする。
ドライバーはストーリーの起点や終点を決定し、ストーリーの主要部分を構築するためストーリー構築においても非常に重要な概念である。ドライバーにはその性質から次の5つの種類がある。
悪(evil driver)と善(good driver)
愛または夢(love driver)と失敗(fail driver)
提示(presentation driver)
これらのドライバーの頭文字をとってそれぞれE,G,L,F,Pで表わす。ストーリーはこれらのドライバーの組み合わせによって構成される。(この章では分かりやすくするためにあえて、悪や愛といった語を単独で用いたが指示する内容を明確にするために英語で~driverと呼ぶことを推奨する。)
原理1:
ある1つのストーリーは5つのドライバー(悪、善、愛または夢、失敗、提示)の組み合わせに分類される。
次の節でこれらの性質を細かく説明する。
2. 悪(evil driver)と善(good driver)
悪、または悪ドライバー(E, evil driver)とは、調和を乱すこと、いけないこと、迷惑なこと、企み、解決すべき問題等である。Eは人間であるとは限らず、抽象的な何らかの問題、災害などの場合もある。これらは善なる存在によって打ち倒される(あるいは、打ち倒されようとする)。これを善、または善ドライバー(G, good driver)と呼ぶ。善という語を用いたが、Gは単にEを終わらせる存在であり、厳密にはそれが道徳的かどうかには関係が無い。
Gはその性質からE無しに存在することはできない。また、ストーリーは普通Eによって始められGによって終わる。つまり倒される。
Gが敗れるか、現れずEによってストーリーが終わるとき、それはバッドエンドとなる。
3. 愛または夢(love driver)と失敗(fail driver)
愛または夢、あるいは愛ドライバー(L, love driver)とは、愛または夢である。広義には、何かを願うことである。愛と夢のドライバーとしての性質は基本的に同じであり、それらを区別することにはあまり意味が無い。そのため2つは同じドライバーで表すことにする。愛または夢は成就、または失敗によって終わる。その失敗を導くのが失敗、または失敗ドライバー(F, fail driver)である。性質上、FはLなしには存在しない。また、愛または夢は、その発見によって終わるということも出来る。つまりLはドライバーとして単独で存在しうる。
普通、Lで終わることが望まれるという点で、LとFの関係は、EとGの関係とは異なる。
普通、物語はLで終わりハッピーエンドとなるが、Fで終わる場合もある。
特にギャグ作品ではFで終わる場合が多い。
4. 提示(presentation driver)
提示、または提示ドライバー(P, presentation driver)とは、作品の設定(setting)について説明するドライバーである。これは単独で存在し、読者(視聴者)の知らない設定ごとにストーリーに埋め込まれる。PにはG、L、Fのようにストーリーを直接終わらせる力は無く、エピローグという形で最後に挿入されることはあっても、それがストーリーの根幹を成すことは無い。
PはE-G、L-F、Lなどによって置き換えることが出来る。これはそれらのエピソードもまた設定を説明することが出来るからである。
主要ストーリーではない、部分的なE-G、L-F、LなどはPと読むことが出来る。つまりそれはそのE-G、L-F、Lを別のドライバーで置き換えてもストーリーを崩さないということを意味している。
5. ドライバーの性質による分類
5つのドライバーの性質をまとめると次のようになる。
性質による分類:
開始的ドライバー・・・E、L
完結的ドライバー・・・G、L、F
単独的ドライバー・・・P、L
ドライバーの組み合わせ:
E-G:悪が善によって倒される。または倒されようとする。
L-F:愛が受け入れられない。夢が叶わない。願望が失敗する。
L:愛が受け入れられる。または夢が叶う。愛または夢を発見する。
P:設定を説明する。
原理2:
ストーリーはEまたはLによって始まり、普通、EはGによって、LはLまたはFによって終わる。
6. 登場人物(character)の行動領域
ストーリーを展開する上で重要となる登場人物をドライバーを用いて次のように分類できる。(登場人物だけとは限らず、事象なども同様に分類できる。)
第1領域・・・GおよびLの主体者
第2領域・・・Lの対象者およびEの主体者
第3領域・・・上記以外の登場人物
一般にはある作品において、ある登場人物が恒久的に同じドライバーを持つとはいえない。ある登場人物の行動領域もドライバーに伴い変更される。
第1、第2領域の登場人物はストーリーを始める、または終わらせることが出来る。その点において主要登場人物(main character)であると言える。対して第3領域の登場人物は脇役(supporting character)である。第3領域の登場人物はドライバーを促す形でストーリーに登場する。
ウラジーミル・プロップの「昔話の形態学」の分類で言えば
第1領域・・・主人公
第2領域・・・王女(探し求められる者)、敵対者、偽主人公
第3領域・・・贈与者、助力者、王女の父、派遣者
にあたる。
原理3:
ストーリーの主要部分は主要人物のドライバーによって決定される。
7. ドライバーを用いたストーリー解析
ストーリーはドライバーを用いて簡潔に書くことが出来る。不要ならば脇役は省略しても構わない。
他にも時空と因果についての解析手段にストーリーグラフがある。
例1 桃太郎
ストーリーライン
P-P(E)-P-G
主要ドライバー:
桃太郎が鬼をこらしめる(E-G)
鬼は直接登場するわけではないが、打倒される存在として登場するP(E)。
例2 浦島太郎
ストーリーライン
P(EG)-L-F
主要ドライバー:
浦島が悪がきから亀を救う P(E-G)
(これは浦島が竜宮城へ行く理由を説明したものである)
浦島が望郷の思いから、帰郷するがそれは叶わない(L-F)
2011年9月9日金曜日
【マーメイ丼】あらすじ
新創作理論の実践第2段として製作。
今回はオリジナルの内容。
--------------------------
『マーメイ丼』
エメラルドブルーの海の底、キラキラと色鮮やかな魚達が泳いでいる。その魚達が突然さっと身を翻し、その群れを切り裂くように黒髪の人魚が猛スピードで突き抜ける。尾ひれはうねり、力強く水を掻くが、前方に現れた大きな網がその人魚を捕らえてしまう。
そこから少し離れた海の底、そんなことが起こっているとはつゆ知らず、別の人魚が袋片手に落ちているゴミを拾っている。頭には猫耳をつけており、髪は綺麗な金色だ。
「なんだ栗かと思ったらウニか。……この間食べたマロングラッセおいしかったなあ」
彼女の名前は山田カレン。この辺りの海の底、モクズ町に住む人魚3姉妹の末っ子である。
その様子を岩陰から怪しい男が覗いている。男は黒いダイビングスーツに身を包み、目つきは鋭い。
彼女がゴミ拾いを終え、日本家屋風の家に帰ってくると、居間では姉のイザベラがソファーで寝転がってテレビを見ていた。
「ちょっとお姉ちゃん、町内会のゴミ拾い行くんじゃなかったの」
「ごめんごめん、昨日飲みすぎちゃって……それよかさあ、カレンこれ見た?夏祭り中止だってさ」
イザベラはカレンに回覧板を差し出す。そこには夏祭り中止のビラが挟み込まれている。
「え、中止?なんで?」
「これが原因みたいよ?」
イザベラが指差すTVの中では、朝の情報番組が国王の容態悪化のニュースを取り上げてる。これを受けて全国では催し物の自粛ムードが広がっていた。
「えー楽しみにしてたのになあ」
「アタシも新しい浴衣着たかったのにい!」
突然、キッチンで朝食を作っていたもう1人の姉、おネエ系のカオルが顔を出す。正確には兄だ。お姉さんタイプのイザベラ、おネエさんタイプのカオル、アニメオタクのカレン、これが人魚の山田家3姉妹である。
「いただきまー……」
「みんな、大変やーっ!役人が来てえらいことになっとるでえ!」
カオルの作った朝食を食べようとした瞬間、町内会のタコ親父が顔を真っ赤にして飛び込んできた。
「……?」
広場に集まったモクズ町の住人の前に、偉そうな服を着た男と、ダイバースーツに身を包んだ男数人がいる。海面には軍艦が停泊しており、その錨のそばに鋼鉄製の檻があり、人魚が捕らわれている。それは、町長の孫娘でカレンの友人の黒髪の人魚リサであった。
「リサ!」
「カレン!」
「ええい、下がれ!」
偉そうな服を着た男が口調だけは丁寧にしゃべり始める。
「皆様、私はエンロハルバル家執事のオカーノでございます。国王様は今は病に伏せっておられるが、ご病気を患われる依然は大変な美食家で、今もその情熱は留まることがございません。単刀直入に申しあげると、国王様はある料理を探しておられる、その名は……」
聴衆がざわめく。
「マーメイ……なんとか」
「え?」
「正確な名前は分からんのだ。昔、国王がこの地で食した郷土料理だそうだ。その……、何か衝撃的で、感動的で、ちょっぴり切ない味だそうだ。」
「はあ?」「聞いたことある……?」「さあ……」
「おい、それよりリサをどうする気だ!」
「やかましい!我々も急を要しておるのだ!明日の夕刻までに『マーメイナントカ』なる郷土料理が見つからなければ、この娘にはその『マーメイナントカ』の実験台になってもらう」
「じ、実験台……?どうする気だ!」
「それはまだ考えてないが、その、なんだ、なんていうか……。ちょっとエッチな……感じとか?」
「ガーン」
「町長が倒れた!」
「リサ!そのマーメイ……なんとかを探し出して必ず助けてあげるからね!」
「マーメイ……なんとか」
「は、父上様なんと……?」
ここは海面の船の中、大きなベッドに力無く横になっているこの国の国王トースギルの横に王子カナタが寄り添っている。
「どのような食材を使った料理だったのか……、不思議と思い出せないが、その衝撃だけは覚えておる。ああ、懐かしい。あれが食べられればわしは……」
国王は、小さなため息をつくと船室の窓からたなびく雲を見やった。
「……親父はもう駄目かもしれん」
船室から出てきた王子は、ダイバースーツの大男、カナタの親友で軍部のモリータの前でそうつぶやいた。
「王子、人魚の肉は不老不死の力を授けるという話もあります。最悪、そのような手段も」
「そうだな……、海の民には嫌われたくないが……」
そんなわけで、モクズ町の面々は、それぞれその郷土料理を探すことになった。
「どうしようお姉ちゃん!」
「それぞれ散らばって探すしかないでしょ。ねえ」
「そうよ!今は全力を尽くすことだけ考えなくちゃ」
急にたくましくなる姉2人。カレンは友達が捕まっていることもあり、少し気が動転している。
「私どうしたら……」
「リサちゃんの側にいてあげてと言いたいところだけど、カレンはじっとしていられるタイプじゃないし……、そうね、おばあちゃんの所に行ってみれば?」
「でも、おばあちゃんってどこにいるか……」
「探せばいいじゃない。それぐらい出来るでしょ。それにカレンは私と違ってくじ運いいからさ」
「そ…そうかな」
「決まったわね!」
それぞれが勘を働かせて、山田家3姉妹はそれぞれ『マーメイ……なんとか』を探しに出発した。
カレンが向かったのは、モクズ町から少し離れた深海の海、太陽の光もあまり届かない暗い海である。カレン達の祖母ローレライは喧騒を離れ、深い海の底で隠遁生活を営んでいる。
色鮮やかな魚たちは次第に少なくなり、代わりに土色で不気味な容姿の生き物が増えていく。
「あー、何度来ても気持ち悪いなあ」
海の底に着いたカレンは水中ランプに灯をともす。周囲は静まり返り、貝が砂を吐く音やカニが歩く音が聞こえてきそうなぐらいである。
薄暗く見晴らしのきかない周囲に戦々恐々として泳いでいると、目の前に大きな穴が現れる。よく見ると、小さなトゲがついており、それは寝ている深海ザメの口だった。後ずさるカレンだが、ちらちらする光に目を覚ましたサメに襲われる。
追いかけられるうちに、ランプと猫耳を落として逃げ惑うカレン。たまたま、ランプがそのサメの鼻にかかり、猫耳も装着されてしまう。猫ザメの完成である。しかし、突如「ゴーン、ゴーン」という音が海中にこだまして、それを聞いたサメは何故かすごすごと去っていく。
それを呆然として見送るカレンの背後に、灯りを点した真っ黒く巨大なアンコウが現れる。びっくりして振り返るカレンだが、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「カレンか~い?お入り」
真っ黒く巨大なアンコウは、実は祖母ローレライが深海船に改造した動く家ハウリング号であった。
そのころ、姉イザベラは高級市場で情報収集を、おネエカオルは片目の巨大ザメと対決していた……。
「おばあちゃん何か知らない?結構昔のことらしいんだけど」
「マーメイ……なんとかねえ。」
「友達が捕まって、夏祭りも中止でえらいことになってるんだから!」
「夏祭りかい……、トンと行ってないねえ。アンタのお父さんが若い頃はそりゃあもう盛り上がってたもんだよ。お母さんとだってそこで知り合ったんだから」
「へえー、お父さんやるなあ」
「その頃はおばあちゃんだってピチピチだったんだから。ああ、そういえば夜店で何か作ってたわね」
そう言うと、ローレライは古ダンスをほじくり始めた。
「おじいちゃんが死んでからはひと夏の恋に燃えたものだわ」
ハウリング号の窓からは、部屋の明かりに照らされてちらちらとマリンスノーが見える。
「ありゃー何か色々と出てきたよ。困ったね、せっかく忘れてたのに。こりゃ見切れないよ」
タンスからは山田家の歴史が次々と発掘されていく、その中にカレンの父、山田助六の夏祭りメモが多数発見される。それには、今の夏祭りよりずっと規模の大きな当時の祭りの、出店の配置から、その出し物の情報が細かく書き込まれていた。そこでカレンは適当に山をほじくって眺めている。
「あ!おばあちゃん、これじゃない?」
カレンが見つけ出した出店のメモの束には何やらレシピのようなものが書かれている。その中に、『MERMAIDONの作り方』なるものがある。
「まーめいどん……、マーメイ丼!?」
「どれどれ?字が小さくて読めないねえ、メガネを……」
「ごめんおばあちゃん、急がないといけないの!すぐ行かなきゃ」
「ちょいと待ちな、それじゃイカの大ちゃんとこ行きな。大ちゃんなら大抵の材料は調達してくれるよ」
「うん、ありがとう!」
カレンは新しいランプをもらうと、レシピを持って一目散に深海の仕入れ屋、大王イカの大ちゃんのもとに行く。大ちゃんはローレライと幼なじみで、老舗の仕入れ屋の店主である。
「ほー懐かしいなあ、こら助六さんのメモやないかい。今年の夏祭りは豪勢やなあ」
「ごめんなさい。色々説明しなきゃいけないんだけど、時間が無いの。このレシピどおりに材料集められる?」
大ちゃんはレシピを眺めて、うーんと唸る。
「材料はそんなに問題あらへんけど、こらあタコうつくで?」
「それはきっと大丈夫、必ず払うからお願い!」
「ふーん。何かわけありやな。ローレライのばあさんとも友達やし、とりあえず倉庫から材料取ってくるさかい待っといて」
「ありがとう!」
次の日の夕刻、すでに広場では国王トースギルによる品評会が始まっている。
住民達は様々なマーメイドにちなんだ料理を作ってきたが、国王は手をつけるどころかほとんど見向きもしない。
「今までのところ、一番良かったのはイザベラさんのマーメイドの宝石箱弁当とカオルさんのマーメイドラゴンのフカヒレか……」
「父上様、どうですか何か思い出すものがありましたか」
「みな良くやってくれたが……、この中にはない。あの時の味はもっと強烈じゃった。残念じゃが、もう良い。わしの勘違いかもしれぬ」
「もう、料理を持って来た者はおらぬか!無ければ、これにて終了……」
「待ってください!ここにその料理があります!」
そこに、こんもり盛られたどんぶりを持ったカレンが現れる。
「料理の名は何という?」
「マーメイ丼です!」
ふたを開けると何やら黒々しいものが乗っかっている。とても料理とは思えない。群集にどよめきが起こる。
「あーあの子が料理全然出来ないの忘れてたわ……」
イザベラも頭を抱える。
「何と無礼な!そのようなゲテモノを国王様に召し上がっていただこうなどと。下げろ、下げろ!」
「そんな!」
その時、どんぶりから流れ出るわずかな匂いが国王の鼻に届く。
「うん?この匂いは……、これ持って来てみい」
「父上様、よろしいのですか?」
カレンは、執事オカーノにどんぶりの乗ったお盆を手渡し、オカーノはそれを国王の前に置く。
「不思議じゃ、見た目はひどいが、この香りは……どこかで」
国王は割り箸を割ってご飯とともに黒いものを口に運ぶ。群集は国王が初めて興味を示して食べる様子に息をのむ。
その間に、匂いが警護隊長のモリータの鼻にも届く。モリータは妙な顔をしたあと、あっという声を上げる。
それを聞くか聞かないかのタイミングで、国王がマーメイ丼をかみ締める。
「国王様!それを召し上がってはなりません!」
国王がその黒いものをかみ締めた瞬間、国王の顔は激しい閃光に包まれ、顔の穴という穴から爆風が噴き出し、衝撃波が群集を振るわせる。
「ドーーーーーーーーーーーーンッッッッッ!!!」
「な、な、何事だーっ!」
「その娘を捕らえろっ!」
警備兵がカレンを激しく拘束する。
「これは……火薬だ!この者の首をはねよ!」
「父上、父上は無事か!?」
「待ちなさい!」
煙の中から、髪の毛がもじゃもじゃになりススだらけになった国王が出てくる。テーブルは吹き飛んでいる。
「これじゃ……!」
「は?」
「いや、正確には完璧にこれというわけでないが、かなり近い……」
「あの?父上、おっしゃってる意味が……」
「その娘を放してやりなさい。これこそわしの求めていた味に近いものじゃ……」
王宮の面々と住民達は唖然として、爆発した国王の容姿を見つめている。
「しかし、もう一つ何か足りん。娘、これをどこで……」
「足りないのはアンタの頭だよ!」
突然、頭上に巨大なアンコウが現れる。ローレライのハウリング号である。
「おばあちゃん!?」
「あれから色々調べて思い出したよ!後はこれを見れば思い出すだろ。大ちゃんお願ーい」
ハウリング号からローレライが合図を送る。
「何だ、何だ?」
広場から少し離れた所から、小さな閃光が打ちあがり、夜空にぐんぐん上がっていく。王子は初めて見る光景に驚きの声をあげる。
「こ、これは花火というやつか……?」
「ドーーーーン!」
炸裂した花火は、七色の光を瞬かせながら散っていく。次々に打ち上げられる花火の閃光が、国王の潤んだ瞳に映っている。
「そうか、これじゃったのか……」
それから、すっかり元気を取り戻した国王を祝うため、夏祭りが開催された。丁度用意された大量の料理は夜店で販売されることになり、さらに、大ちゃんの用意した花火「マーメイドン」が次々と夜空に打ち上げられた。
そんな中、山田家の前では酒が入った面々がへべれけになっている。
「レシピは800発になっとったけど、1000発にまけといてやったわ」
「商売上手でんなあ」
「それで、おばあちゃん、真相はどうだったの?」
「あのトースギルってのが、付き合ってくれってしっつこくてさ。いい加減頭来たんで、花火を一発食わせてやったのさ。目を白黒させてたよ。」
「モリータさん、あんた意外といい男だわねえ。」
「う…」
「ねえ、おネエちゃん!かわいく着れてる?」
「ええ、カレンもリサちゃんもバッチリだわよ!」
「じゃ、夜店に行って来るね!行こ、リサちゃん!」
「うん!」
その年の夏祭りは花火や珍しい料理で例年に無く盛り上がり、国王の部下達も交えて飲めや歌えやの宴が夜遅くまで続いたという。もちろん数日後に、山田家には1000発分の花火の代金が請求されることになるのだが、そのことはまだ黙っておこう。
おわり
今回はオリジナルの内容。
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『マーメイ丼』
エメラルドブルーの海の底、キラキラと色鮮やかな魚達が泳いでいる。その魚達が突然さっと身を翻し、その群れを切り裂くように黒髪の人魚が猛スピードで突き抜ける。尾ひれはうねり、力強く水を掻くが、前方に現れた大きな網がその人魚を捕らえてしまう。
そこから少し離れた海の底、そんなことが起こっているとはつゆ知らず、別の人魚が袋片手に落ちているゴミを拾っている。頭には猫耳をつけており、髪は綺麗な金色だ。
「なんだ栗かと思ったらウニか。……この間食べたマロングラッセおいしかったなあ」
彼女の名前は山田カレン。この辺りの海の底、モクズ町に住む人魚3姉妹の末っ子である。
その様子を岩陰から怪しい男が覗いている。男は黒いダイビングスーツに身を包み、目つきは鋭い。
彼女がゴミ拾いを終え、日本家屋風の家に帰ってくると、居間では姉のイザベラがソファーで寝転がってテレビを見ていた。
「ちょっとお姉ちゃん、町内会のゴミ拾い行くんじゃなかったの」
「ごめんごめん、昨日飲みすぎちゃって……それよかさあ、カレンこれ見た?夏祭り中止だってさ」
イザベラはカレンに回覧板を差し出す。そこには夏祭り中止のビラが挟み込まれている。
「え、中止?なんで?」
「これが原因みたいよ?」
イザベラが指差すTVの中では、朝の情報番組が国王の容態悪化のニュースを取り上げてる。これを受けて全国では催し物の自粛ムードが広がっていた。
「えー楽しみにしてたのになあ」
「アタシも新しい浴衣着たかったのにい!」
突然、キッチンで朝食を作っていたもう1人の姉、おネエ系のカオルが顔を出す。正確には兄だ。お姉さんタイプのイザベラ、おネエさんタイプのカオル、アニメオタクのカレン、これが人魚の山田家3姉妹である。
「いただきまー……」
「みんな、大変やーっ!役人が来てえらいことになっとるでえ!」
カオルの作った朝食を食べようとした瞬間、町内会のタコ親父が顔を真っ赤にして飛び込んできた。
「……?」
広場に集まったモクズ町の住人の前に、偉そうな服を着た男と、ダイバースーツに身を包んだ男数人がいる。海面には軍艦が停泊しており、その錨のそばに鋼鉄製の檻があり、人魚が捕らわれている。それは、町長の孫娘でカレンの友人の黒髪の人魚リサであった。
「リサ!」
「カレン!」
「ええい、下がれ!」
偉そうな服を着た男が口調だけは丁寧にしゃべり始める。
「皆様、私はエンロハルバル家執事のオカーノでございます。国王様は今は病に伏せっておられるが、ご病気を患われる依然は大変な美食家で、今もその情熱は留まることがございません。単刀直入に申しあげると、国王様はある料理を探しておられる、その名は……」
聴衆がざわめく。
「マーメイ……なんとか」
「え?」
「正確な名前は分からんのだ。昔、国王がこの地で食した郷土料理だそうだ。その……、何か衝撃的で、感動的で、ちょっぴり切ない味だそうだ。」
「はあ?」「聞いたことある……?」「さあ……」
「おい、それよりリサをどうする気だ!」
「やかましい!我々も急を要しておるのだ!明日の夕刻までに『マーメイナントカ』なる郷土料理が見つからなければ、この娘にはその『マーメイナントカ』の実験台になってもらう」
「じ、実験台……?どうする気だ!」
「それはまだ考えてないが、その、なんだ、なんていうか……。ちょっとエッチな……感じとか?」
「ガーン」
「町長が倒れた!」
「リサ!そのマーメイ……なんとかを探し出して必ず助けてあげるからね!」
「マーメイ……なんとか」
「は、父上様なんと……?」
ここは海面の船の中、大きなベッドに力無く横になっているこの国の国王トースギルの横に王子カナタが寄り添っている。
「どのような食材を使った料理だったのか……、不思議と思い出せないが、その衝撃だけは覚えておる。ああ、懐かしい。あれが食べられればわしは……」
国王は、小さなため息をつくと船室の窓からたなびく雲を見やった。
「……親父はもう駄目かもしれん」
船室から出てきた王子は、ダイバースーツの大男、カナタの親友で軍部のモリータの前でそうつぶやいた。
「王子、人魚の肉は不老不死の力を授けるという話もあります。最悪、そのような手段も」
「そうだな……、海の民には嫌われたくないが……」
そんなわけで、モクズ町の面々は、それぞれその郷土料理を探すことになった。
「どうしようお姉ちゃん!」
「それぞれ散らばって探すしかないでしょ。ねえ」
「そうよ!今は全力を尽くすことだけ考えなくちゃ」
急にたくましくなる姉2人。カレンは友達が捕まっていることもあり、少し気が動転している。
「私どうしたら……」
「リサちゃんの側にいてあげてと言いたいところだけど、カレンはじっとしていられるタイプじゃないし……、そうね、おばあちゃんの所に行ってみれば?」
「でも、おばあちゃんってどこにいるか……」
「探せばいいじゃない。それぐらい出来るでしょ。それにカレンは私と違ってくじ運いいからさ」
「そ…そうかな」
「決まったわね!」
それぞれが勘を働かせて、山田家3姉妹はそれぞれ『マーメイ……なんとか』を探しに出発した。
カレンが向かったのは、モクズ町から少し離れた深海の海、太陽の光もあまり届かない暗い海である。カレン達の祖母ローレライは喧騒を離れ、深い海の底で隠遁生活を営んでいる。
色鮮やかな魚たちは次第に少なくなり、代わりに土色で不気味な容姿の生き物が増えていく。
「あー、何度来ても気持ち悪いなあ」
海の底に着いたカレンは水中ランプに灯をともす。周囲は静まり返り、貝が砂を吐く音やカニが歩く音が聞こえてきそうなぐらいである。
薄暗く見晴らしのきかない周囲に戦々恐々として泳いでいると、目の前に大きな穴が現れる。よく見ると、小さなトゲがついており、それは寝ている深海ザメの口だった。後ずさるカレンだが、ちらちらする光に目を覚ましたサメに襲われる。
追いかけられるうちに、ランプと猫耳を落として逃げ惑うカレン。たまたま、ランプがそのサメの鼻にかかり、猫耳も装着されてしまう。猫ザメの完成である。しかし、突如「ゴーン、ゴーン」という音が海中にこだまして、それを聞いたサメは何故かすごすごと去っていく。
それを呆然として見送るカレンの背後に、灯りを点した真っ黒く巨大なアンコウが現れる。びっくりして振り返るカレンだが、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「カレンか~い?お入り」
真っ黒く巨大なアンコウは、実は祖母ローレライが深海船に改造した動く家ハウリング号であった。
そのころ、姉イザベラは高級市場で情報収集を、おネエカオルは片目の巨大ザメと対決していた……。
「おばあちゃん何か知らない?結構昔のことらしいんだけど」
「マーメイ……なんとかねえ。」
「友達が捕まって、夏祭りも中止でえらいことになってるんだから!」
「夏祭りかい……、トンと行ってないねえ。アンタのお父さんが若い頃はそりゃあもう盛り上がってたもんだよ。お母さんとだってそこで知り合ったんだから」
「へえー、お父さんやるなあ」
「その頃はおばあちゃんだってピチピチだったんだから。ああ、そういえば夜店で何か作ってたわね」
そう言うと、ローレライは古ダンスをほじくり始めた。
「おじいちゃんが死んでからはひと夏の恋に燃えたものだわ」
ハウリング号の窓からは、部屋の明かりに照らされてちらちらとマリンスノーが見える。
「ありゃー何か色々と出てきたよ。困ったね、せっかく忘れてたのに。こりゃ見切れないよ」
タンスからは山田家の歴史が次々と発掘されていく、その中にカレンの父、山田助六の夏祭りメモが多数発見される。それには、今の夏祭りよりずっと規模の大きな当時の祭りの、出店の配置から、その出し物の情報が細かく書き込まれていた。そこでカレンは適当に山をほじくって眺めている。
「あ!おばあちゃん、これじゃない?」
カレンが見つけ出した出店のメモの束には何やらレシピのようなものが書かれている。その中に、『MERMAIDONの作り方』なるものがある。
「まーめいどん……、マーメイ丼!?」
「どれどれ?字が小さくて読めないねえ、メガネを……」
「ごめんおばあちゃん、急がないといけないの!すぐ行かなきゃ」
「ちょいと待ちな、それじゃイカの大ちゃんとこ行きな。大ちゃんなら大抵の材料は調達してくれるよ」
「うん、ありがとう!」
カレンは新しいランプをもらうと、レシピを持って一目散に深海の仕入れ屋、大王イカの大ちゃんのもとに行く。大ちゃんはローレライと幼なじみで、老舗の仕入れ屋の店主である。
「ほー懐かしいなあ、こら助六さんのメモやないかい。今年の夏祭りは豪勢やなあ」
「ごめんなさい。色々説明しなきゃいけないんだけど、時間が無いの。このレシピどおりに材料集められる?」
大ちゃんはレシピを眺めて、うーんと唸る。
「材料はそんなに問題あらへんけど、こらあタコうつくで?」
「それはきっと大丈夫、必ず払うからお願い!」
「ふーん。何かわけありやな。ローレライのばあさんとも友達やし、とりあえず倉庫から材料取ってくるさかい待っといて」
「ありがとう!」
次の日の夕刻、すでに広場では国王トースギルによる品評会が始まっている。
住民達は様々なマーメイドにちなんだ料理を作ってきたが、国王は手をつけるどころかほとんど見向きもしない。
「今までのところ、一番良かったのはイザベラさんのマーメイドの宝石箱弁当とカオルさんのマーメイドラゴンのフカヒレか……」
「父上様、どうですか何か思い出すものがありましたか」
「みな良くやってくれたが……、この中にはない。あの時の味はもっと強烈じゃった。残念じゃが、もう良い。わしの勘違いかもしれぬ」
「もう、料理を持って来た者はおらぬか!無ければ、これにて終了……」
「待ってください!ここにその料理があります!」
そこに、こんもり盛られたどんぶりを持ったカレンが現れる。
「料理の名は何という?」
「マーメイ丼です!」
ふたを開けると何やら黒々しいものが乗っかっている。とても料理とは思えない。群集にどよめきが起こる。
「あーあの子が料理全然出来ないの忘れてたわ……」
イザベラも頭を抱える。
「何と無礼な!そのようなゲテモノを国王様に召し上がっていただこうなどと。下げろ、下げろ!」
「そんな!」
その時、どんぶりから流れ出るわずかな匂いが国王の鼻に届く。
「うん?この匂いは……、これ持って来てみい」
「父上様、よろしいのですか?」
カレンは、執事オカーノにどんぶりの乗ったお盆を手渡し、オカーノはそれを国王の前に置く。
「不思議じゃ、見た目はひどいが、この香りは……どこかで」
国王は割り箸を割ってご飯とともに黒いものを口に運ぶ。群集は国王が初めて興味を示して食べる様子に息をのむ。
その間に、匂いが警護隊長のモリータの鼻にも届く。モリータは妙な顔をしたあと、あっという声を上げる。
それを聞くか聞かないかのタイミングで、国王がマーメイ丼をかみ締める。
「国王様!それを召し上がってはなりません!」
国王がその黒いものをかみ締めた瞬間、国王の顔は激しい閃光に包まれ、顔の穴という穴から爆風が噴き出し、衝撃波が群集を振るわせる。
「ドーーーーーーーーーーーーンッッッッッ!!!」
「な、な、何事だーっ!」
「その娘を捕らえろっ!」
警備兵がカレンを激しく拘束する。
「これは……火薬だ!この者の首をはねよ!」
「父上、父上は無事か!?」
「待ちなさい!」
煙の中から、髪の毛がもじゃもじゃになりススだらけになった国王が出てくる。テーブルは吹き飛んでいる。
「これじゃ……!」
「は?」
「いや、正確には完璧にこれというわけでないが、かなり近い……」
「あの?父上、おっしゃってる意味が……」
「その娘を放してやりなさい。これこそわしの求めていた味に近いものじゃ……」
王宮の面々と住民達は唖然として、爆発した国王の容姿を見つめている。
「しかし、もう一つ何か足りん。娘、これをどこで……」
「足りないのはアンタの頭だよ!」
突然、頭上に巨大なアンコウが現れる。ローレライのハウリング号である。
「おばあちゃん!?」
「あれから色々調べて思い出したよ!後はこれを見れば思い出すだろ。大ちゃんお願ーい」
ハウリング号からローレライが合図を送る。
「何だ、何だ?」
広場から少し離れた所から、小さな閃光が打ちあがり、夜空にぐんぐん上がっていく。王子は初めて見る光景に驚きの声をあげる。
「こ、これは花火というやつか……?」
「ドーーーーン!」
炸裂した花火は、七色の光を瞬かせながら散っていく。次々に打ち上げられる花火の閃光が、国王の潤んだ瞳に映っている。
「そうか、これじゃったのか……」
それから、すっかり元気を取り戻した国王を祝うため、夏祭りが開催された。丁度用意された大量の料理は夜店で販売されることになり、さらに、大ちゃんの用意した花火「マーメイドン」が次々と夜空に打ち上げられた。
そんな中、山田家の前では酒が入った面々がへべれけになっている。
「レシピは800発になっとったけど、1000発にまけといてやったわ」
「商売上手でんなあ」
「それで、おばあちゃん、真相はどうだったの?」
「あのトースギルってのが、付き合ってくれってしっつこくてさ。いい加減頭来たんで、花火を一発食わせてやったのさ。目を白黒させてたよ。」
「モリータさん、あんた意外といい男だわねえ。」
「う…」
「ねえ、おネエちゃん!かわいく着れてる?」
「ええ、カレンもリサちゃんもバッチリだわよ!」
「じゃ、夜店に行って来るね!行こ、リサちゃん!」
「うん!」
その年の夏祭りは花火や珍しい料理で例年に無く盛り上がり、国王の部下達も交えて飲めや歌えやの宴が夜遅くまで続いたという。もちろん数日後に、山田家には1000発分の花火の代金が請求されることになるのだが、そのことはまだ黙っておこう。
おわり
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