2013年4月29日月曜日

思考の分解について


言語を用いた思考の分解について説明する。
思考の分解とは、ある命題をその構成要素に分解し分析する手法である。

私たちは脳の情報処理に従い、ある命題を盲目的に信じている。思考の分解は、そういった盲目的に信じている命題を問い直し、その背後にあるゲシュタルトを明らかにする。

■アプリオリな命題

-------------------------------------------------------------
ルール1:アプリオリな命題から始める。
-------------------------------------------------------------

思考の分解のスタート地点は、アプリオリな命題である。アプリオリな命題とは、無条件で真だと確信している命題を指す。平たく言えば、ある気持ちや、信念や、思い込みのことである。

人間の脳の情報処理は論理的ではない。その多くの部分は過去の記憶や情動に基づいており、それゆえに人は論理に頼らずとも決定が下せる。それが人間の強みでもあり、弱みでもある。

私たちは、「アプリオリな命題」を説明不要な大切なものだと考えている。しかし、それは必ずしも正しい意味を持っているとは限らない。

思考の分解の目的は、私たちがアプリオリな命題として表現している「何か」の正確な意味を知ることである。

逆に、アプリオリでない命題は思考の分解の対象としては、あまり適切ではない。

■否定形の禁止

-------------------------------------------------------------
ルール2:否定形を用いてはならない。
-------------------------------------------------------------

思考の分解は、一見論理学に近い。しかし、実際には大きな差異がある。それは、否定形の禁止である。これは、「○○でない」「非○○」「○○以外」といった否定表現を禁止するものである。
否定形の禁止は、概念による宇宙の分解をゆるやかに禁止する。否定形を用いることができる場合、「偶数」という言葉は、宇宙を「偶数」と「偶数でないもの」に分割する。この分割は自明であり完全である。ある概念は、少なくとも「偶数」か「偶数でないもの」のどちらかに属することになるだろう。しかし、「偶数でないもの」を我々は本当に認識できるのだろうか。それは「奇数」かもしれないし、「無理数」かもしれないし、そもそも「数字でないもの」かもしれない。そんなブラックボックスを思考の分解は禁止する。
もし、宇宙を「偶数」と「奇数」に分解したら、「偶数でも奇数でもない」何かが宇宙には取り残されることになる。思考の分解はそれを容認する。

思考の分解は、論理的で完全な分解を放棄し、主観的で不完全な分解を採用する。それは、思考の分解が真理を目指すものではなく、自身の分解を目指すものだからである。

■主体性の認識

--------------------------------------------------------------
ルール3:アプリオリな命題が定義か、経験的事実かを確認する。
--------------------------------------------------------------

あるアプリオリな命題を信じる者にとって、アプリオリな命題はアイデンティティに関わる命題である。つまり、それを否定することは困難である。
それは言語レベルを超えて定義されており、言語でそれを覆すことはできない。

つまり、思考の分解の目的は、そのアプリオリな命題を否定することではない。思考の分解の目的は、それを真偽もろとも分解することである。

そこで、まずその由来を明らかにする。

例えば、A君は『僕は弱虫だ』というアプリオリな命題を持っていたとしよう。A君のファーストステップは次のように問うことである。

「『僕は弱虫だ』は定義か、それとも経験的事実か?」

定義の場合も、経験的事実の場合もあるだろう。しかし、それはどちらでもかまわない。この問いの目的は、アプリオリな命題を作り出しているのが自分だと認識する為のものだからである。

■命題の分解

--------------------------------------------------------------
ルール4:命題を単語に分解する。
--------------------------------------------------------------

A君の次のステップは、アプリオリな命題を単語に分割することである。

『僕は弱虫だ』→『僕』と『弱虫』

『僕は弱虫だ』には真偽があるが、『僕』と『弱虫』には真偽が無い。命題は破壊される。

残るのは、『僕』と『弱虫』の間の「関係」である。脳には、バラバラなものをつなぎとめるゲシュタルト能力がある。この段階では、まだ、『僕』と『弱虫』の間には何らかの関係があると信じているが、それは若干曖昧になっている。

■単語の分解

--------------------------------------------------------------
ルール5:単語を複数の単語に分解する。
--------------------------------------------------------------

さて、ここから、命題と命題を構成する単語を本格的に破壊する。単語の分解の種類には、次のような手法がある。

①合成語分解
例:ギリシア人 → ギリシア/人

②抽象度(集合)分解
例:人間 → 男性/女性

③属性分解
例:アリストテレス → 哲学者/ギリシャ人

④和分解
例:男 → 男/女

⑤類語分解
例:かわいい → 愛しい/初々しい/キュートな

⑥定義分解
例:有理数 → 二つの整数a,b(ただしb≠0)をもちいてa/bという分数で表せる数のこと

試しに、『弱虫』を分解してみよう。

弱虫 → 弱い/虫 (合成語分解)
弱虫 → 弱虫/強者 (和分解)
弱虫 → 臆病者/泣き虫/恐がり/ヘタレ(類語分解)

このような分解によって、潜在的に「僕は弱い」や「僕は泣き虫」のような命題が発生する。これは、バラバラの単語の状態になっている状態を脳が嫌ってゲシュタルトを形成しようとするからである。しかし、さらに分解を進める。

■単語の定義

--------------------------------------------------------------
ルール6:単語を定義する。
--------------------------------------------------------------

分解によって生じた単語のうち、定義のあやふやなものを定義する。このとき、何を満たせば、そう言えるのかを意識する。一般に単語を定義するのは難しい。
定義し難いものは、さらに分解して定義を試みる。

例えば、『弱虫』は定義可能だろうか?もし、定義不能ならば、『弱虫』を分解した「臆病者」や「泣き虫」についてはどうだろうか?

ここでは、仮に『弱虫』は定義不能だが、「恐がり」や「泣き虫」は定義できたとしよう。

「恐がり」 ⇔ すぐ恐がる人
「泣き虫 」⇔ すぐ泣く人

■命題、単語の破棄

--------------------------------------------------------------
ルール7:定義不能な単語、真偽不明の命題を破棄する。
--------------------------------------------------------------

分解された単語や、それらの組み合わせによる命題のうち、定義不能な単語を用いたものや、情報不足によって真偽不明の命題を破棄する。結果的に残るのは、定義された単語による明確な命題だけである。

先の例では

『僕は弱虫だ』 → 『弱虫』が定義不能なため破棄する。
『僕は恐がりだ』 → これは新たなアプリオリな命題である。
『僕は泣き虫だ』 → これも新たなアプリオリな命題である。

となる。

このあたりの段階で、おそらく元の命題はゲシュタルト崩壊し、分解されたもののうち自明なものしか残っていないだろう。

A君が信じていたアプリオリな命題『僕は弱虫だ』は破棄され、『僕は恐がりだ』や、『僕は泣き虫だ』が採用される。これがA君の本当に信じていた命題である。

もちろん、『弱虫』を「恐がりで泣き虫のこと」と定義すれば、『僕は弱虫だ』はアプリオリに真である。しかし、この命題はゲシュタルトという意味では分解前とは若干異なっている。

なぜなら、再構成の手順の中で、『弱虫』の中の「恐がりでも泣き虫でもないなにか」が宇宙に取り残されてしまうからである。

人間は、曖昧なものを信じることができる。しかし、それは必ずしも言語で表現できるものではない。思考の分解は、言語の力を借りて自身の信じているものを明確にする。それは、曖昧な何かを捨てることであり、明らかなゲシュタルトを構成し直すことである。