2013年2月11日月曜日

無意識と行動


私たちがとっている無意識的行動の原理にせまる。
私たちはどのように無意識をコントロールして行けばよいのだろうか。


■無意識を直接見ることはできない

まず、無意識について言えることは、こころを直接見ることができないように、無意識もまた直接見ることはできないということです。

デカルトが我思うゆえに我ありと言ったように、私たちは意識の存在については疑いの余地がありません。しかし、こころや無意識は必ずしもそうとは言えません。なぜなら、その処理プロセスを直接見た人はいないからです。

それにもかかわらず、私たちがこころや無意識があると信じる理由は、意識の上では説明のつかない行動を私たちがとっているということを経験的に知っているからです。私たちは知らない間に呼吸を行い、知らない間に恋に落ちます。それを知るのはいつも事後であり、意識に上ってはじめて自分の知られざる行動や、隠された気持ちに気がつくことになります。

私たちは、いつもこころや無意識による「結果」を見ているのであって、こころや無意識それ自体を見たことはありません。

こころや無意識というものは、決して姿を見せない黒幕のようなものなのです。


■意識が無意識をコントロールするという怪しさ

私たちは、意識というものが無意識よりも上位にあると何となく考えています。無意識といえども、意識に上ればコントロールできると。しかし、本当にそうでしょうか?

先ほど言ったように、意識が見ているものは、無意識による「結果」でしかありません。意識が無意識をコントロールしていると思っていても、意識が見ているものはその介入による「結果」にすぎません。その「結果」を生み出した無意識は相変わらずブラックボックスのままであり、その中身については想像するしかありません。

例えば、川の上流から流れてくるものを、川の下流からコントロールできるでしょうか?意識と無意識の関係はそれに似ています。私たちが意識によって無意識をコントロールしていると考えているとき、実際には、影で働く無意識自体が無意識をコントロールしており、その結果を意識が見ているにすぎないのではないでしょうか。つまり、水が逆流しているのではなく、川全体が変化していると考えるわけです。水が逆流するというのは、自然の摂理に反します。

私は、水が逆流すると考えることによって、意識が無意識をだめにするとすら考えています。

よくスポーツなどで、せっかく調子が良かったのにあることを意識しすぎてパフォーマンスが低下するということがあります。これは、無意識が丁度良く調整していたものを意識が妨げてしまったと考えることが出来ます。身体をコントロールしているのはあくまで無意識であり、そこには積極的に介入しない方がよいことだってあるのです。

これは、映画のようなものでも同じことが言えます。例えば、映画を見ているときに、本当に楽しめるのは、その世界にどっぷりはまっている時です。もし、あと上映時間は何分かなとか、終わっちゃうのが惜しいなあなどとメタな視点に立ってしまうと、立ちどころに現実世界に引き戻されてしまいます。身体のコントロールだけでなく、映画鑑賞のような受動的な情報処理でも意識は邪魔になってしまうのです。

さらに、能動的な情報処理、つまり思考についても同じことが言えます。あるアイデアを、次々と思いついているとき、その状態はかなり無意識的です。なぜなら、なぜそのような考えに至ったかは分からず、その「結果」だけが意識に上っているからです。この状態で、今のはいいアイデアだなとか、煮詰まってきたななどとメタな視点に立ってしまうと、急に無意識の活動がストップします。これは、まさにスポーツで意識しすぎの状態と同じです。

結局、意識の存在というのは、無意識がパフォーマンスを発揮しているときには邪魔にしかならず、意識が無意識よりも上位だとか高度というわけではありません。意識はあくまで無意識の下流に位置する存在にすぎないのです。


■無意識は無意識に弱い

さて、実は無意識に最も影響があるのは、意識による介入ではなく、意識に上らない介入です。
つまり、意識が気がつくことなく、無意識に働きかけられると無意識は大きな影響を受けるのです。これは、意識というものの役割を改めて考えてみると、良く分かります。

意識は、無意識がパフォーマンスを発揮しているときに、それを停止するのが得意です。先ほどは、それを悪いことのように書きましたが、実はそれには重要な役割があります。
それは、無意識への攻撃をブロックすることです。無意識を停止できるということは、他者から無意識への介入があった場合には、無意識を停止してそれを中断することができるということです。実は、意識というものは無意識への介入が得意なのではなく、無意識への介入を阻止するのが得意なのです。
先ほどの映画の例で言えば、映画にどっぷりはまっているとき、無意識は無防備に映画による介入を受けています。映画を見た後にしばらくふわふわした感じが消えないのは、無意識が強く影響を受けているからです。メタな視点に立つということは、その無意識への介入を防いでいるともいえます。つまり、意識は一種のファイヤーウォールのようなものなのです。

この意識の働きがハッキリすると、無意識が何に弱いかもハッキリします。つまり、無意識は意識にではなく、意識が働いていないときに受ける介入に一番弱いのです。

頭で分かっていても、体がいうことを聞かないという表現があるように、無意識はなかなか思い通りにならないというイメージが強いと思います。しかし、実際には、誰かからちょっとほめられるだけで、すぐいい気分になったりと、無意識は感受性豊かで影響も受け易い存在です。意識がそれを保護している為に、なかなか変わらないイメージがあるのです。


■無意識の上流へ

もし、あなたが無意識のブラックボックスを操作したいと思うなら、意識の弱い瞬間を狙うのがもっとも効果的です。女性が、風邪などをひいて弱っているときに優しくされるとコロッといってしまうという話がありますが、それも原理的には同じです。防御ができなければいいわけです。

わざわざ風邪を引くわけにはいきませんから、1日の中でそれがどういう時間かを考えてみましょう。すぐに思いつくのは、起床時と就寝時です。寝起きと寝る直前というのは、意識がはっきりしませんから、そのような状態は非常にねらい目です。

しかし、無意識が決定的に変更を受けるのは、実は寝ている間です。意識はまったくありませんから当然でしょう。

私たちは意識のある状態に注目しがちなので、意識の無い睡眠中に何が起きているのかということに対してあまり関心を払ってないように思います。しかし、脳は起きている時と同じぐらい寝ているときも働いています。つまり、無意識は寝ている間も健在なのです。寝ている間に無意識が何をしているかというと、覚醒時に起きた出来事の整理です。無意識だって、起きている間は情報処理で疲れてきますが、寝ている間に、いるものといらないものを仕分けて、疲れを癒しているわけです。

よく夜書いたラブレターを朝見直すとなんでこんなもの書いたのだろうと恥ずかしくなるという話があります。それは無意識が寝ている間に、もやもやした気持ちを整理してしまったからです。私は、寝る前と寝て起きた後は別人になっているとすら考えています。ブラックボックスである無意識の処理メカニズムが変更されているなら、それは別人と言っても良いでしょう。

無意識が上流で、意識が下流なら、睡眠はさらに上流の滝のようなものです。脳は、睡眠中に流れていった水の一部をせっせと滝の上まで運びます。そして、朝目が覚めるとまた水がどっと下流の方へと流れていくのです。

睡眠中は、最も無意識が影響をうける瞬間です。しかし、それに影響を与えるには、覚醒時にそれを仕込んでおく必要があります。その最も適切なタイミングは、無意識がリフレッシュしておりかつ意識が抑えられている状態。つまり起床時です。その後、意識ははっきりとして、逆に無意識はだんだんと疲れてきますから、処理は停滞していきます。そして、眠くなる就寝前にまた無意識が優位になって睡眠へと入るので、次に効果があるのが就寝間ということになります。
ただし、就寝前は無意識が疲れているので、高度な情報処理には向いていません。

そこで、寝る前には何も考えずに後片付けなどをして、起きた後にそれを受け取るというのがベストです。つまり、無意識を使った高度な情報処理は朝一番に、そのためのセットアップは夜寝る前ということです。

朝食をすぐ取れるようにしておくとか、掃除をしておくとか、筆記具を用意しておくなど何でも良いです。例えば、ホテルに泊まったときに、チェックインした夜は疲れ果てて寝ただけだったが、朝起きるときれいな部屋に日が差し込んでいて、食事も用意されており快適な状態でスタートできてとても幸せを感じたということはないでしょうか。これは、寝る前は色々あって疲れていたが、寝ている間に出来事が整理され、寝起きの無意識が無防備なときにリッチなもてなしをされたので、バカ正直にいい気分になったということです。無意識は感受性が高いので、そんなことで恵まれてるとか、幸せだと感じてしまいます。そして無意識は、人生の悩みのような意識上の介入を受けることなく、快適にパフォーマンスが発揮できるというわけです。

ここでは分かり易い例を取り上げましたが、準備するものは課題や書籍など思考のきっかけとなるものでも構いません。

この現象は、動物でいうならインプリンティング(刷り込み)に似ています。ただ、産まれた時に見たものを母親だと認識してしまうように、起きた時にみたものが自分に与えられた価値や環境だと思ってしまう。それが良いものであれば、意識の介入は遅れてパフォーマンスは上がり、悪いものであればすぐに意識が介入し、パフォーマンスが下がります。
ここでポイントなのは、睡眠をまたいでいるために、準備したのが自分だということを無意識は忘れているということです。無意識が疲れている間に準備し、無意識がリフレッシュしている間に受け取る。それだけで、無意識は、とてもいいことがあったと勘違いします。それを利用するのです。

それが成功すれば、朝、夜、睡眠中だけで相当なパフォーマンスがアップします。日中から夜にかけては蛇足と言ってもいいでしょう。無意識というのは、ポイントを押さえればすぐに引っかかってくれますが、理詰めや意識の介入があると、途端に強固な蔵のようになります。
意識の役割をきちんと見定めることが、無意識を使いこなす上で最も重要です。無意識には無意識で、そして意識は単なる観測者ということを忘れなければ、無意識の上流さえも操ることが可能になります。

これからの世の中には、無意識をうまく使いこなせる人が増えてほしいと思います。