2013年6月1日土曜日

【ストーリー解析】「言の葉の庭」

2013/5/31に公開されたアニメ映画「言の葉の庭」のストーリー解析を行う。

*完全なネタバレなので、まだ観てない人は観ましょう。



■スタッフ
監督・脚本・原作 - 新海誠
作画監督・キャラクターデザイン - 土屋堅一
美術監督 - 滝口比呂志
音楽 - KASHIWA Daisuke(柏大輔)
制作・著作 - コミックス・ウェーブ・フィルム
配給 - 東宝映像事業部

監督・脚本・原作は新海誠。絵コンテも切ったとラジオで言っていた。なので、ストーリーは新海さんが決めたと思っていい。
ちなみに上映時間は46分で、普通のアニメ映画の半分ぐらい。ただし、ストーリーボリュームは一時間分ぐらいあると思う。

■声優
タカオ(秋月 孝雄)- 入野自由(いりのみゆ)
ユキノ(雪野 百香里)- 花澤香菜

主人公、ヒロイン共によい演技だった。花澤さんは、普段萌えキャラを演じることが多いので、一瞬ユキノとはミスマッチに聞こえる。しかし、大人な花澤ボイスというのもなかなか魅力的でぞくぞくした。

中の人の私生活とダブらせてしまうと、バーチャル香菜みたいな感じでより楽しめる(妄想です)。女性声優好きとしては、普段聞けない花澤ボイスだけで観る価値あり。

■映像・音響
特筆すべきは、雨表現の豊かさ。特に水面や、濡れたタイルには目を奪われる。一部CG?なのかな。そのすごさは、開始の1カットで分かるレベル。色々な雨の形態にもこだわっている。
また、激しい雨音や雷音もいい演出だった。

■総評
本作品の見所は、次の3点。

①雨表現
②ユキノの表現(眼差し・仕草・声)
③文学的なモチーフ

アニメとしては非常に完成度が高い。日本の多様な雨を描いた作品としては、素晴らしい内容。また、ストーリーもよく練られている。ただし、設定や終わり方には若干違和感がある(後述)。とはいえ、花澤好きは必見だし、声優ファンでなくとも、映像作品、あるいは文学作品として観る価値は十分にあると思う。是非多くの人に見て欲しい。


■ドライバー分析

さて、続いてストーリーの解析に移る。まず、ストーリーを構成するメインドライバーは、次の2つ。

①タカオのユキノへの恋心(L-L-F)
②タカオがユキノの再出発を助ける(E-G)

一見、本作は単純な恋愛もの「タカオとユキノの恋(L-L)」に見える。しかし、実際には②の「タカオがユキノの再出発を助ける(E-G)」が最大のドライバーである。

公式では、本作を「恋」ではなく、愛に至る以前の孤独、「孤悲」の物語と位置づけている。それはつまり、単なる「恋」ではなく、ユキノの落ち込む原因(再出発を拒んでいるもの)=「孤悲」を払うことがストーリーの根幹だということだ。
そして、それを成すための原動力が、①の「タカオのユキノへの恋心(L-L-F)」なのである。

ちなみに、「孤悲」とは万葉集の中で見られる「恋」の当て字であり、「こひ」と書いて、「こい」と読むらしい。「恋」にまつわる気持ちの中で、「あなたがいなくて寂しい」という悲しさを強調した表現といえる。
英語で言えば、恋が「I love you.」に近く、孤悲が「I miss you.」に近いといったところか。

劇中では、ユキノの「気持ちを打ち明けられないゆえの孤独と悲しみ」や、タカオの「気持ちを打ち明けてくれないゆえの孤独と悲しみ」に対応する。


予告編で明らかにされないネタバレとしては、

・ユキノがタカオの高校の教師であること

また、サブドライバーとして、

・タカオが靴職人を目指す(L)
・タカオがユキノを追い詰めた生徒に怒りをぶつける(E-G)

などがあるが、この辺はストーリーというよりは、設定(P)に近い。


■ストーリー詳細

思い出せる範囲でのストーリーは次のようなもの。

P タカオは、靴職人を目指す高校生。雨の日が好きで、雨の日はいつも学校をサボり新宿の日本庭園に行き靴のデザインなどを考えていた。

P ある雨の日、その日本庭園の東屋で、金麦を飲んでいる若い女性(ユキノ)と出会う。

P タカオは、チョコを食べながら金麦を飲んでいる彼女を変な人だと思ったが、どこかで見た事がある気がしたので声をかける。
彼女は「ない」と答えるが、タカオの制服に気がつき「ひょっとしたらあるかも」と答える。

P タカオはまた、別の雨の日、同じ東屋で彼女に出会う。

L 2人はサボり仲間として少し打ち解ける。彼女は、雨の日にまた会うかもと言って一句短歌を詠んで去る。
「鳴神(ナルカミ)の光りとよみてさし曇り、雨さへ降れや。君は留らむ」
タカオには意味が分からない。

L タカオと彼女は雨の日に同じ東屋で会うようになり、弁当を持ち寄ったりして、次第に打ち解けてゆく。タカオは次第に彼女に惹かれていく。

EG ところが、ユキノは実は味覚障害を発症しており、仕事についてもすでに止める手続きを始めていた。ユキノは自分の情けなさを憂い、元彼にも心を開けず、孤独な日々を送っていたが、タカオとの出会いがそんなユキノの心を少しづつほぐしていく。

L タカオは、彼女の悩みの多い背後を想像し、彼女が元気を取り戻せる靴を作りたいと思うようになる。

L ユキノは、タカオに弁当のお礼として、靴の専門書をプレゼントする。

L タカオは女物の靴を作ろうとしているがうまくいかないからと言って、ユキノの足を採寸する。

E ユキノは、タカオが寝ているときに「私はまだ大丈夫かな」とぽつりと不安を口にする。

F 梅雨があけ、夏になるとめっきり雨が降らなくなり、二人が会う回数は激減する。タカオは学費を稼ぐ為にバイトをし、ユキノは悶々としていた。

E 2学期がはじまり、ある日高校で、タカオは職員室から出てくるユキノにばったり出会う。実は、ユキノはタカオの高校の古典の教師だったのだ。そして、今度辞めるのだという。原因は、彼氏をとられたと勘違いした女生徒の逆恨みで、良くない噂を流され追い込まれたからだという。

G 別の日、事実を知ったタカオは、噂を流した女生徒に詰め寄り平手打ちをかます。しかし、その取り巻きにボコボコにされる。

L 雨は降らず、約束もなにもないが、タカオは日本庭園を訪れる。そこに、ユキノがいる。

L 気まずそうにするユキノに、タカオは短歌の返しの歌を詠む。
「鳴神の光りとよみて降らずとも、我は止らむ。妹し止めてば」
(雨が降らなくとも、あなたが言えば留まるのに)

E 突如、雷雨が降りはじめ、2人は東屋に駆け込むが、ずぶ濡れになってしまう。

G 体が冷えてしまった2人はユキノの自宅に行き、着替えてお茶を飲むことに。

L 2人は、しんみりと人生で一番の幸せを感じる。

F そこでタカオは、淡い恋心をユキノに打ち明ける。しかし、ユキノは年齢差や(直接的ではないが)教師と生徒という間柄から、気持ちに正直になれず、タカオの気持ちに応えられない。

F タカオは、悔しくて濡れた服に着替えなおしてユキノの家を飛び出す。

L ユキノは、タカオが出て行った後、かけがえのないものを今失おうとしていることに気がついて、後を追いかける。

L 非常階段でタカオを見つけたユキノに、タカオは悔しさを激しくぶつける。

L(G)ユキノは、それに突き動かされて大泣きしながらタカオを抱きしめる。

P 少し月日がたち、ユキノは実家のある四国で、教師として再就職する。

L タカオは、ユキノからの手紙を読みながら、いつか自分がもっと成長したら会いに行こうと心に決める。

(おわり)

マクロで見るとメインドライバーは、タカオとユキノの恋物語(L-L-F-L)に見えると思う。
しかし、そう考えるとどうしてもその後の展開が引っかかる。単純な恋愛ものなら、タカオとユキノは付き合ってハッピーエンドでもおかしくない。しかし、実際には、ユキノは四国で別の生活を始め、タカオは靴も渡せず、いつか会いに行くなんて悠長なことを言っている。まるで、別々に暮らすことを決めた「もののけ姫」のサンとアシタカのようだ。

これを読み解くには、タカオが従うドライバーが正確には2つあることを知る必要がある。それは次の2つである。

①ユキノに対する恋心(L)
②ユキノを救いたいという気持ち(G)

これらは似ているが、ストーリー上は異なる役割を果たしている。
これらの違いは、クライマックスのユキノがタカオを抱きしめるシーンで明らかになる。このシーンはユキノの本当の気持ちを語るシーンなのだが、ユキノはタカオのことを「好き」ではなく「救われていた」と言っている。これは、ユキノにとって、タカオは恋人ではなく、自分を苦しい孤独から救い出してくれた恩人であるということを物語っている。

つまり、このシーンでは恋心に対する返答(①に対する返答)が成されているわけではなく、救い出したいと言う気持ちへの返答(②に対する返答)が成されているのだ。そこに、恋の物語から孤悲の物語への昇華がある。

このシーンで、前者はタカオの広い意味での失恋(L-F)として完結し、後者はユキノを孤悲から救い出すというストーリー(E-G)として完結されている。

そう考えると、その後の2人の距離感やエピローグの展開にも合点がいく。


■伏線の解説

①和歌ついて
ユキノが詠んだ句は、万葉集の2513番で

「鳴神(ナルカミ)の光りとよみてさし曇り、雨さへ降れや。君は留らむ」

大雑把な意味は、「雷が鳴って雨が降れば、あなたを留めておけるのに」である。
こんな句を詠まれたら男なら一発でころっといってしまいそうだが、劇中では意味が分からない前提で詠まれた。後半で、返しの歌や、古典の教師であるということにつながっていく。また、少し自分の正体を明かしたいという気持ちもあったようだ。

それに対して、タカオが詠んだ返しの句は、万葉集の2514番、

「鳴神の光りとよみて降らずとも、我は止らむ。妹し止めてば」

大雑把な意味は、「雷が鳴って雨が降らなくとも、あなたが言えば留まるのに」。劇中では、「雨が降るという口実がなくても、あなたに会えるのならここに来ます」という感じだろうか。
良い演出である。
また、ユキノがタカオの後を追う最後のシーンでもこの短歌が挿入されており、そこでは短歌本来の、「妹し止めてば=あなたから行かないでと言って欲しい」というタカオの気持ちが表現されている。


②味覚障害
チョコをかじりながらビールを飲む偏食家と思いきや、実は伏線で、味覚障害という展開。弁当に自信がなかったのも、うまく味見できないという側面があったのだろう。(ただし、実際料理も下手みたいだが。)さらに、味覚障害の原因が、学校で追い込まれていることだという物語の核心へとつながっていくあたり上手な伏線の張り方である。


■いくつかの問題点

①ユキノの職業がなぜタカオの高校の教師なのか?
この設定にはかなり違和感がある。この設定により、ユキノがタカオを拒否する理由に、年齢の差だけでなく、教師と生徒という非常に倫理的な問題が加わってしまう。
倫理的問題があるとさすがに応援し難い。
また、「あったことがあるかも」で同じ学校てのはさすがに世間が狭すぎる。

②うまく行かない原因が学校での妨害工作で良かったのか?
なぜ、このような不快な設定にしたのだろうか?悪役がはっきり決まってしまう設定が良かったのか甚だ疑問である。おそらく視聴者は、原因の女生徒や、ユキノの元恋人でおそらく同僚の先生に怒りがこみ上げることだろう。
しかも、平手打ちこそしたものの、ユキノは結局辞めてしまったのだから、局所的に見るとこれは悪が倒されない、問題が解決しないバッドエンドとも取れる。
雨の日に出会うという情緒的でファンタジックな内容に、なぜ下衆を登場させる必要があったのだろうか。学校関連シーンはそのせいで後味の悪いものになっている。

③靴フラグはなぜ回収されなかったのか?
せっかく作った靴がどうして彼女の足に収まらなかったのだろうか。
もしドライバーが、「タカオがユキノの再出発を助ける」ならば、彼女が靴を履いて教壇に立っている姿が真のハッピーエンドのはずである。しかし、本作ではそうはならない。どうも監督は、靴=タカオの恋心と思っているようである。だから、靴が渡せない=失恋という結末になっているのだろう。
しかし、ドライバーの整合性から言えば、靴は恋心の象徴ではなく、恋心から派生した現実的な終着点=彼女を救うことの象徴である。恋心は叶わなかったが、救いたいという願いはかなった。ならば靴は履かせるべきである。靴を送り、その返信の手紙を読む。それがあるべきエンドである。


■改善案
できれば高校教師ではない設定にしたいが、代替案は難しそうなのでパス。唯一変更するならば、エピローグには、ユキノが靴を履いた姿を入れるということぐらいか。