2012年1月31日火曜日

100人の興味ない者は1人の興味ある者に勝てない

今回は珍しく世間話(政治)。なんとなくこのブログに合わない気もするが、一応載せることにした。

---

「100人の興味ない者は1人の興味ある者に勝てない」

1月28日に放送された「朝まで生テレビ」を見ていて思ったことがある。2012年の幕開けを福島で行い、その第2弾を注目のあつまる大阪で行う。しかも、渦中の橋本市長が出演というあたりに、田原氏の2012年への意気込みを感じる。

私はかねてから政治との距離感を掴めずにいた。そういったニュースや動画は見るものの、そこには一定の違和感がある。そこで展開される議論や内容自体は新鮮にうつるが、どうも熱が入らないのだ。

経済、福祉、税金など私たちがそこで扱われている問題の当事者であることは確かだ。しかし、そこに実感がわかない。もちろん日本国民なので投票権はあるが、その時々になんとなく候補者を選んでいるだけだし、税金の使い道がどうのと言っても、もともと収めている税金の額はたかがしれている。

ネット民とされる人々が利用する2チャンネルにはことあるごとにスレが立つが、そのレスにもあまり関心が無い。自分のことながら、なぜなのだろうかと普段から疑問に思っていた。

しかし、「朝まで生テレビ」を見ていて気がついたことがある。見た人はご存知のように、番組は終始橋本市長のペースで進んだ。それは、橋本市長が人間的に優れているとか、相手の論客がバカだとかそういうことではないと思う。単に橋本市長と論客では大阪への「腰の入れ方」が違うのである。単に両者が持ち出すデータの量をみてもその差は歴然としていた。

橋本市長は弁が立つ。しかし、それはおそらくタウンミーティングなり、部下との議論なりで積み重ねてきた結果だろう。大阪の問題を整理し、論点を洗い出し、解決策を考えている。逆に言えば、大阪以外のことを聞かれてもそんなに分かり易くは説明できないだろう。毎日、大阪のことを考えているから、大阪のことをあれだけ説明できるのだ。

橋本市長は「対案を示してください」とか「案は出していますから、問題があるなら言ってください」などと番組の中で繰り返した。日々、大阪について考え、沢山のスタッフと実務を行っている男に一体誰がそんなものを示せるというのだろうか。

大阪という都市を知らないわけではない。しかし、私たちが真面目に日々考えているのは、自分の「個人的な問題」あるいは「仕事上の問題」なのである。私たちにとって大事なのは、「個人的な問題」であって、自分の住んでいる街の行政体にだってあまり興味が無い。それは極論してしまえば、大阪について考えること、あるいは自分の住んでいる街について考えること、それは私の「仕事」ではないのである。

論客の先生方も、大阪で飯を食っているかというと微妙である。もちろん本などを出版されている方は反省する点があるだろう。とはいえ、批判本などは要するに批判することが仕事であって、大阪をよくしようとかそういう意識は無いように思う。先生方の興味はあくまで、自分の仕事の範囲の中であって、行政の長と組するほどの意識があるはずがない。大阪だけを特別視する時間も無ければ、労力もない。

2チャンネルの住人にしても、ツイッターでつぶやいている人にしてもそうだろう。誰が大阪の行政のことを考えて飯を食っているというのか。福島の人たちや、大阪の事業者、子供を学校に通わせる親などはかろうじて、仕事と関係があるだろう。元旦の福島の回にしても、住民の本気度はすさまじかった。しかし、それと仕事や生活が直接関係していない人の本音は「お金(税金)は払うから、よろしくやってくれ」ということではないだろうか。少なくとも私はそうだ。

無責任のように感じられるかもしれないが、それよりも「個人的な問題」や「仕事上の問題」が大事であって、それらを解決するからこそ、労働に付加価値が生まれGDPは上がることになる。ひいては税収アップにつながるのだ。

今回の放送で露呈したのは、「100人の興味ない者は1人の興味ある者に勝てない」ということである。
演者の中で、本当に大阪の改革に興味があるのは橋本市長だけであった。田原氏にしても、その興味はジャーナリズムにある。別に大阪だけが特別なのではない。

そこで、私たちのとりうる立場は、少なくとも「複数の」興味のある者を見出すことであろう。本気で大阪の改革の矢面に立つのが橋本市長だけだから、独裁だのヒトラーだの言われてしまうのだ。国政にしても、増税に熱意を燃やす野田総理に「対案を示せ」と言われて出せないような論者では、話があらぬ方向にいってしまうのは当たり前である。

私たちには、私たちの「個人的な問題」や「仕事上の問題」がある。政治家や、ジャーナリスト、学者は「一緒に考えて下さい」というかもしれない。「それが日本のため、地域の為。最後はあなたが決めるんです」と。しかし、私たちは忙しい。「それで直接恩恵を受けるのはあなたではありませんか?」といいたくなる。私たちがもっと興味があるのは、「個人的な問題」や「仕事上の問題」でしかないのである。なぜなら、それは「私」が解決するほかにないからだ。「私」以外にそれを考えてくれる人はいない。

逆に言えば、私たちが積極的に政治に関わるには、それを生業とするしかない。どこで活動するか、どこで仕事するか、何を仕事とするか、その選択の中で行政体とのかかわりは生まれてくる。そこで初めて、政治が「個人的な問題」や「仕事上の問題」になる。そうしたときに初めて、勝負になるのだ。

もしそうできないなら、少なくとも2人以上の「興味のある論者」を対決させよう。これはプロレスと同じようなものだ。ビックカードは、ファンの関心を引かなければ実現しない。ファンはそれを楽しめば十分だし、ビックカードなら当事者同士も勉強になるだろう。

私たちは広域の問題には無関心だが、ビックカードを実現させる力は持っている。それこそが最大限に譲歩した民主主義ではないだろうか。