2011年4月10日日曜日

【創作理論】夢見る創作法

ここでは「夢見る創作法」の解説をする。「夢見る創作法」とは夢をみるように創作する
創作手法のことである。

この方法はコントロールが難しいが、ある程度本質的である。

認知科学の進歩によって、我々の認識やリアリティというものが記憶で成り立っているということが分かり始めている。我々が創作と呼んでいるものも、おそらく理論的には記憶の合成であることに間違いはない。そこで我々は記憶の合成を引き起こしやすい意識の状態について興味があるのである。

一方、アイデアに比べてストーリーはある一定のきまり(例えば、時空の整合性や話の整合性、普遍的な面白さ)が存在するため、そこにはある程度論理的な思考が介在すると考えられる。

この2つを夢に例えると分かりやすい。我々が夢を見るとき、その夢の内容は明らかに我々の体験した記憶そのものではないが、そこではいくつかの記憶が合成され独特のリアリティを形成している。その点で夢は創作的である。しかし、それは多くの場合、まったく整合性を持たない。

では、ここで本題の「夢見る創作法」について解説していこう。

「夢見る創作法」は夢と同じように記憶の合成を行う手法である。
この方法論は主に作品世界のビジョンを得るのに用いる。ここでいうビジョンというのは作品の状況、設定、登場人物の3つである。
まず、重要なことはこの方法論において作品世界のビジョンを決定する作業は無意識の能力によってなされる、
ということである。

だだし、ここでいう無意識とは意識の無い状態ではなく、意識のレベルが低い
状態を指す。意識のレベルについては後ろの意識の性質を見て欲しい。

創作するには、ある作品世界のビジョンの各要素をパラレルに決定する必要があり、
意識のレベルが高い状態での指向性は邪魔になる。

しかし、一方である作品空間を限定するためには、少なくともそれを維持する為の
指向性が必要であり、ビジョンの決定を完全に無意識で行うことはできない。

そのため、意識はぼんやりとあるが、漂っている状態を維持することが必要である。
これを漂流状態(ドリフト状態)と呼ぶことにする。
今、どのような段階にあるかは意識と無意識の機能の違いを見極めればよい。

[意識と無意識の性質]--------------------

該当するものが強い、多いほどそのレベルが高い。

意識:
物理世界にいる感じがする
指向性がある
シリアル思考(特に言語を用いた思考)
コントロールが可能

無意識:
物理世界にいる感じがしない
合成能力がある
指向性が無い。漂流する
パラレル思考
コントロールが難しい

----------------------------------------

まず、長時間維持できる姿勢をとる。寝ないように背はもたれない方がよい。
次に呼吸に注目して、吐くときに体の力を抜いていき、意識のレベルを下げていく。

初期段階では意識のレベルを下げる必要があるため、何か特定の事項について
考えることはしない。

次に状態を作品空間に限定する。その作品のシーンを思い出したり、
登場人物などについて注目する。
意識的に特定の何かにこだわると無意識の抵抗にあうので、選択は
ある程度無意識に任せる。

ある記憶の想起や、あるイメージへの注目は「合成」の前駆段階である。
漂流状態の意識状態は記憶を呼び出している状態と似ているが、
あるイメージが記憶そのものであるかどうかで区別出来る。
次に合成しやすい状態に意識を持っていく。

合成が行われているかどうかは、見たこと無いもの、概念が含まれるかどうかで
判別する。想起と合成の感覚は似ているが、おそらくドーパミン等の体感が違う。
簡単に言うと、想起は別段気持ちよいというわけではないが、合成は気持ちよい。
あるイメージについて、どうしたらよいだろうか?などの言語による誘導は避け、
それがどのような「感じ」であるかだけに注目するとうまくいくことが多い。
十分意識のレベルが下がっており、作品空間内での漂流を始めると、
無意識がイメージの合成を始める。

漂流中の意識のコントロールは、どの「感じ」に注目するかをコントロールすることで
行う。ここで、言語による連想はしない方がよい。言語を用いると意識の
レベルが上がってしまうし、想起される対象が作品空間を越えてしまいやすい。
次々と注目する「感じ」に意識を向けるだけで良い。

ある特定の問題を解決したい場合、その問題だけを解決しようとすると
指向性が強くなりすぎて、合成能力が失われるため逆効果である。そこで、
あくまで意識のレベルを下げた状態で周辺を漂流することが大事である。

あとは漂流しながら、できるだけ多くの合成をする。

もし、作品空間に入る前に雑念が沸いて来る場合、それは意識のレベルが高すぎる。
その場合、止観によってそれがいわれのあることなのかを調べれば消すことが出来る。
単に受け流すことでも離れることが出来るが、気になっている以上再び出てくる可能性が高い。

漂流中に作品空間から外れてしまった場合は、やはり再び意識のレベルを下げる。
外れる理由の多くは、作品空間外部への連想や、記憶の想起である。それらは
単に注目せず受け流しておけば、注目度の高い作品空間に再び戻ることが出来る。
はじめのうちは漂流をコントロールしようとせず、範囲だけを限定するようにすると
よい。

このような漂流はおそらく姿勢の維持できる時間だけ続けられる。
ただし、飽きたり、眠くなったりもするので朝が望ましい。
何らかの儀式化や、反復訓練により一日のうちの漂流時間は長くすることが
可能だと考えられる。それは非常にクリエイティブな生活といえるだろう。

漂流状態での意識と無意識の塩梅がもっとも重要である。それにはもちろん体感を伴う
訓練が必要である。

漂流する範囲が広すぎる場合は、ビジョンの上位概念である「意図」が未決定である可能性が
高い。ある程度アイデアが集まったら一度、意図を決定し、その意図に基づいて再びビジョンを
作りこむ必要がある。これは作品に関するすべての事項を決定するのが直観と意図だから
である。